のっぺらぼう(モノノ怪)の妄想と受け手の共感性
またモノノ怪の話を
「のっぺらぼう」が「鵺」に次いで好きな話と書きましたが、久しぶりに見てみて唸っちゃいましたね。尖りすぎです。顔出しする登場人物は薬売り(cv櫻井孝宏)と家族を殺して死罪の判決を受けたお蝶という娘とのっぺらぼうの3人のみ。舞台も大きく動かないのでキャラクターの掛け合いだけでどんどん真実が明らかになっていく、まるで演劇のようなエピソードなんです。
1.お蝶の殺人
前半のアバンでお奉行により判決を受けるお蝶。義母と夫、義弟と義妹を1人で殺害したということですが、具体的な殺害方法はとなると曖昧模糊でお蝶当人もよくわかっていない様子。後半で明らかになりますが、お蝶は殺害を実行しておらず、あくまで心の中だけで彼らの殺害を“妄想”していただけです。なので薬売りが磔や生き埋め、首括りの木といった殺害方法を提示しますがこれらは彼女の妄想に過ぎないので真実とは“違います“。
2.のっぺらぼう
薬売り「あなたが恋をした相手は…誰だ」
のっぺらぼうは決まった顔が無い仮面を付けたモノノ怪。顔は隠れていますが声麗しく(cv緑川光)お蝶を否定することなく全面的に肯定し、愛してくれる存在です。都合が良過ぎないか?と思ったあなた、正解です。これもお蝶の妄想ですね。辛い現実から目を背けるも、箱入り娘で外界との接触に乏しいお蝶が妄想の中で理想の恋人を作り上げてしまったのっぺらぼう、決まった顔がないのも当然。決まった顔を妄想で作れなかったのですから。これが人とモノノ怪の結ばれぬ恋。顔がないのにはもう一つ理由があります。
3.お蝶の一生
薬売り「笑い事ですよこんなの…この笑い事のためにこれまで何人殺してきたんですか…」
父親を早くに亡くし、お家再興のために幼少期から母親に厳しく作法や習い事を強制されてきたお蝶。本当は遊びたかったという自分を押し“殺して“言う事を聞き続けるお蝶。そして結婚、ところが嫁いだ先は嫁をイビリ倒し飯炊き女としか扱われる始末。ここでも自分を殺し我慢を続ける毎日。なぜここまで自分を犠牲にして辛い生活を続けるのか?それは愛している(と思い込んでいるだけかも)母親が自分にかけてくれた期待を裏切りたくなかったから。お蝶が初めて心に仮面を被ったのは幼少期のお琴の手習でのこと。妄想の相手に顔が無いのはお蝶自身が自分に仮面を被せているため。のっぺらぼうは心に仮面を被った彼女の心の投影。過去が語られてのっぺらぼう=お蝶の理が明らかになっていくのです。
4.ラストシーン
のっぺらぼうに取り憑かれた(というより自分が心に作り出した)お蝶が救われるためにすべきこと。それは牢獄のような飯炊場の狭い窓から見える“外“への逃亡。薬売りが今回やったことといえばお蝶の心の「憑物」を払ったという形で背中を押してあげたというだけ。これもっと突っ込んだ話をするならば薬売りの存在すら現実から逃げたいと願うお蝶の妄想の産物であるという見方も…
この「のっぺらぼう」は共感できる人にはスッと入ってくる話だと思います。特に現状に不満を持っていても行動できない人とか。でも共感できない人にはなかなか飲み込み辛いかと。このように人の歪な内面性を象徴的に描いた作品はどれも一般的には難解と受け取られやすいと思います。こういうのとっても大好物なので他にもあったら教えてください。お前が先に教えろって?
じゃあNetflixの「もう、終わりにしよう」だ!これは「孤独な者にとって妄想は最高の娯楽」を突き詰めた作品です。わからないとくっそ入ってこない話だけどわかってしまうと辛くて何回も見たく無い。そんな悲しい話。
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