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学校教育における「読書」のあり方への問い

「読書」をする時間。小学校でも中学校でもありますよね。或いは高校でもあるかもしれません。
では一体、何の為に「読書」の時間が設けられているのでしょうか。

私は、読書は
「人生を豊かにする為のもの」であり、
また本は「その指針を示してくれるもの」であると考えています。
それが小説であろうと、自己啓発本であろうと、そして漫画であろうと、です。

しかし、多くの学校では小説や自己啓発本等は読書本として推奨されているにも関わらず、「漫画」はかなりの割合で禁止されています。何なら「ライトノベル」すら禁止の学校もあるそうですね。
私はこの現状に憤りを感じています。

 現代では更にインターネットツールや電子機器の発展が進み、そもそも紙媒体の書籍を読む機会すら失われつつあります。しかし、読書習慣の衰退の理由として電子機器やインターネットツールの発展が全てでしょうか。
私は、電子機器云々よりも、上記に示した学校の間違った読書教育こそが最もの読書離れの原因たり得るのではないかと考えています。

 本を読む習慣をいざ付けようとなった時、いきなり文学小説や自己啓発本から読み始める人はほとんどいないと思います。それこそ読書の入口として「漫画」や「ライトノベル」は親しみやすくとっつきやすいものであるのです。ですから、本来学校は漫画やラノベ等を禁止にすべきではないですし、もっと言えばそういった類の本に対して寛容な対応をしなければ、読書習慣を育む事などできやしないのです。
 実際に私も、小説に関しては「ライトノベル」から読み始め、次第に文学小説にも触れるようになっていきました。これは大学生時代の話ですから、義務教育期間である小・中学校では更にとっつきやすい漫画本等を朝読書の本として認めるべきなのです。しかし、漫画(ラノベ)が禁止である事にも理由はあるのでしょう。それらを私の内省も含め少し挙げてみようと思います。

・アニメ等偏ったジャンルに固執してしまう
・文字がほとんどなく絵ばかりのものも存在する
・性的な表現やグロテスクな場面等、人格形成期の  
 教育においてふさわしくないものも含まれる

 と、ざっとこんなものでしょうか。
3つ目の内容が含まれるものに関しては、私も学校の裁量で規制すべきだと思います。
 しかし、朝読書の、学校においての読書教育の目的は何でしょうか。
ここで、日本の朝読書が生まれるきっかけになったジム・トレリースの著書【The Read-Aloud Handbook】の内容を以下に引用します。

「朝読のような自由時間に読むものは書籍以外でも雑誌、新聞、マンガでも何でもいい。
読む人が自分で選ぶ事が重要なのだ。

と述べています。
太字の部分が答えなのです。
 目的が文字を読む、文を読むという事であれば、国語や道徳の授業で用いる教材で事足りるのですが、それはあくまで受動的な読書となります。
 学校における読書教育の目的は他ならぬ「能動的な読書」であり、児童や生徒らが進んで読書をする為にはやはり、自分が読みたい本を読むべきなのです。
 そして、自ら進んで読書をする習慣がつくようになれば、自ずと小説等にも触れていく事になるのです。

 結論になりますが、冒頭で私は読書をする目的は
「人生を豊かにする事」であり、本は「その指針を示してくれるツール」なのです。
 一人ひとり、人生の色や方向は違い、各々が自分に合った方向に進んでいくべきなのです。
 その為には、学校における読書教育ではその基盤となる「能動的な読書習慣」を育成する必要があり、またその目的を達成するには、児童生徒の読書に対して学校の柔軟な対応が必要になってくるのです。

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