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∞ は努力して近づくものなのか、元々あるのか

高校に上がると、やがて数学の授業で、こんなのと遭遇します。

$${x\rightarrow \infty}$$

「x の値が無限に大きくなっていく」の意です。これは割と感覚的にさっとつかめると思います。鏡をふたつ並べると、無数の鏡が奥まで果てしなく続いていくという遊びを、どなたも子どものときに面白がったでしょう。鏡と鏡のあいだを、光がまさに光の速度で果てしなく反射し続けて、それが無限の世界($${x\rightarrow \infty}$$)を私たちに見せてくれるわけです。

ただ、この $${x\rightarrow \infty}$$ 表記は、大学以降の数学では次第に廃れていきます。実際はばんばん使い続けるのですが、講義の内容がより抽象的になっていくにつれて、この表記は見かけなくなっていきます。

どうしてかわかりますか? ∞(無限)にどこまでも向かっていくとは、そこに時間の流れを(無意識に)想定しているからです。時間が一方向に進むのは、物理的なものです。相対性理論とかでは扱うけれど、それは物理学の理論の話であり、一方数学はそういう物理現象を根拠には置かないことになっています。「1+1=2」を証明するにあたって、みかんをひとつづつ置いてふたつになるからこれで証明できたなどと言い張るのは、しょうがっこうの算数なら頭をなでてもらえるでしょうが、本当の数学では相手にしてもらえません。いかなる物理的現象にも寄らないで、これを証明するのです。

面倒でしょ? これと同じで、 ∞(無限)にどこまでも向かっていく――近づく――などという表現は、およそ数学的ではないのです。

大学以降の数学では、∞(無限)について「近づくもの」とは考えないで、「すでにあるもの」と考えます。

たとえば、何か不定形なものの面積を測るとき、高校まで(というか大学入試)の数学では、正方形のタイルを内側に敷き詰めて、次にそのタイルのすべてを段々縮小していく、すなわちそのぶんタイルの数全体は増えていく、そして∞(無限)に向かって増えていくという風に考えますが、大学以降の数学では、当初より無限の数の正方形タイルを敷き詰めると考えるのです。

タイルをだんだん縮小させて、それに伴って全体のタイル数は増えていく、無限に向かって増えていく… これは高校数学での考え方で、

タイルは当初より無限にあって、それを敷き詰めていくと考えるのが、大学で習う数学というわけです。

当初より無限枚数のタイルを、有限の面積に張り詰めていく場合、そのタイルの大きさについてはどう考えたらいいのでしょう?

「無限小」と閃いた方には残念賞を差し上げます。けして間違いとはいえないのですが、面積を考える場合、もはや「無限小」すら切り捨てられるのです。

なんか怖くなってくるでしょ。こうやって受験数学の秀才たちは、次第に自信を失い、やがて単位が取れればそれでいいと割り切るようになって、4年後には卒業証書を手に、苦笑いしながら校門から去って行くのがお約束のパターンです。

∞ は近づくものではなく、すでにあるものと考えることで、数学は19世紀後半に大ブレイクスルーを果たしました。

これが20世紀になって、物理学の世界にもブレイクスルーをもたらすことになります。

「波うつ場」と「飛びかう粒子」の二本柱で進歩してきた19世紀物理学が、∞ の思想を消化することで、この二本柱を一本に融合していくのです。

アナログとデジタルを、それに微積と行列(線形代数ともいう)を融合させるメソッドとでもいえば、感じはなんとなくつかめると思います。

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