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小5、小6の英語教科書に感じること(その1)

中学校で、英語の成績が二極化しているそうです。

小3より「外国語活動」の名目で英語に触れ、小5より「授業」として英語を学んでいくカリキュラムに変更されてより、その傾向が強くなっています。

どうしてそうなってしまうのか? 小5,小6用の英語教科書「New Horizon」(東京書籍)を、一週間かけて分析してみて、たぶんこのあたりに原因があるのではないかというものが、浮かびあがってきました。


「活動」と「授業」の違いについて軽く語っておきます。

学校行事として野外キャンプを行うのは「活動」にあたります。炊飯の腕を磨こうとかの課題が課せられているわけではないですよねああいうのは。思い出作りや、集団生活のイロハを体感させるためという以上のものではなくて。

何か日々の努力の積み重ねで腕を磨くとか技を会得するとかの、日々の修練で、それにさらに成績評価が課せられていくのが「授業」。陸上部に入って100m走のタイムが縮まろうがそうでなかろうがそれは成績評価ではなくただの記録ですので、部活動は授業ではなく「活動」。

(私なりの定義と分類なので細かい議論を仕掛けてこないように)


かつては小5、小6での英語学習は「活動」でした。「授業」ではないため教科書はなくて、文部科学省が用意したワークブックを使っていました。子どもたちは最初は楽しんでくれるのですが、やがて飽きていきました。「red とあるマス目を赤鉛筆で塗りつぶすとかの、こんなつまんないことを延々とやらされてつまらない」と。

そうした児童の反応への反省から、そういう素朴な作業つまり「活動」は小3、小4のうちに行って、小5からはもっとやりがいというか、日々の努力がだんだんと積み重なっていくのが各生徒に感じられるもの、つまり「授業」に切り替わりました。

(ここにさらに国家レベルでの事情が重なってくるのですが今は児童の視点より論じているのでそういう話はさしあたってスルーします)


「授業」には必ずカリキュラムがあります。「何を、どういう順番で教えていくか定めたもの」とここでは定義しておきます。

小5、小6の英語授業はどんなカリキュラムになっているのか興味があって、教科書出版社が用意する教師用年間授業計画表や、文部科学省発行の「学習指導要綱」に目を通してみたのですが…

どうもはっきりしないのですよ。

私なりに整理してみると、小5、小6の二年間で教えるべき内容、それから中学まで教えてはいけないことがらは、だいたい以下のようでした。

教えるべきは:be 動詞、一般動詞、疑問文、疑問詞文、助動詞「can」、動名詞、動詞過去形

教えていけないのは:

  1. 現在進行形は不可

  2. 動詞活用も不可

  3. 冠詞の使い分け説明も不可

  4. 文法用語を使うのも不可

1についていうと「I like playing tennis.」はいいけれど「I'm playing tennis.」は×だってことです。想像するに「~ing」形に慣れてもらうことを小学校では優先して、これに複数の用法があることを教えると小学生の頭では混乱するので動名詞つまり「I like playing tennis.」のほうのみ教えることにしましょうってことのようです。

2は少々やっかいです。「I play tennis.」はいいけれど「She plays tennis.」は教えるの御法度だってことです。主語によって動詞が微妙に変形するアレは、小学生には難しいので教えないことになっています。

ここでこんな裏技が使われます。「She can play tennis.」という風に助動詞(ここでは「can」)を挟むと動詞が変形しないで元のままになるので、小5、小6英語ではやたら「can」が使われるのです。

この法則は「will」でも「should」でも「may」でも、とにかく助動詞であれば発動するのですが、これらをわっと教えにかかると小学生ではついていけないので「can」をとにかく使い倒すのです。

そのせいで変な英文が目に付きます。「She can play tennis.」は一見正しい文なのですが、これ実は「彼女ならテニスができる」か「彼女はテニスならできる」と述べている文です。もし「彼女はテニスができる」といいたければ「She plays tennis.」ですね。ニホンジンは中1で「can」の使い方をこうやって間違って習うのでもう一生間違った英語を使うのですが、それが今や小5でこれを習うせいでもっと刷り込みが酷くなって矯正が効かなくなっています。

3について。「the」や「a」の使い分けを小学校英語ではスルーするので、子どもたちは英文を習ってもそれを使いこなせないままです。「このトマトはどこの産?」と英語でいいたくても「Where is the tomato from?」の「the」が何なのかそもそも習わないのでいえないわけです。この英文じたいは教科書に載っていても、です。

4について。小学校国語でも「主語」と「述語」ぐらいしか習わないので、英語の授業でも英文法は教えないようです。そのため文の組みたて方がよくわからないまま授業で対話ごっこさせられるわけです。

個人的な思い出話をします。私は体育が大の苦手でした。大きな理由として、バスケでもソフトボールでも、いったいどういうルールで回っているのかさっぱりわからなかったからでした。体育の授業で教わってはいても、私は理屈屋なので口頭で説明されてもアタマに入らなくて、それでいつも置いてきぼりでした。なんでここで笛がなるの?どうしてここで2点入るわけ?何にもわからないままバスケをやらされて、気力を失くしてしまいました。

ドッジボールは好きでした。下手だったけれど、ルールはごく素朴だったから「わからへん」な劣等感を抱かずに済んだし。

バスケはルールわかんないとちっとも面白くない。小6の体育で習った覚えがあるのですがルールがさっぱり頭に入らないせいで、いくらシュート練習しても楽しくないし、プレイ中もデクノボー。

文法がわからないまま英会話ごっこさせられる苦しみは、たぶんそういうものなのだと思います。

文法教えればええやんとはいかないこともよくわかります。バスケのルール、とても複雑でとても頭に入りませんよね。あんなのいちいち習わされたらやはり気力が萎えてしまいます。小学校英語で文法を教えないでおくのも、きっとそういう理由からなのでしょう。


いってみれば小3、小4の英語「活動」はドッジボールつまり「遊戯」で、中1からの英語はバスケットボールつまり「球技」。しかし小5、小6の英語「授業」は、ドッジともバスケともつかない、すなわち「遊戯」とも「球技」ともつかない、中間形態的なものなのです。

そんなものを週2コマで二年間やらされるのですよ。英語が嫌いになる小学生増加もうなづけます

小学校では原則としてひとりの教諭がすべての教科を教えることになっているので、英語の授業もほどほどのレベルのものにとどめないと教師側の負担が大きくなりすぎるし、そのせいで「球技」になりえないというのはあると感じます。


その2に続く


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