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ボブ・ディランの公演にいってきました

Abstract: Yesterday I enjoyed Bob Dylan's performance, which started at 7 pm. It was more like two and a half hours of a religious experience for me. Although I had heard of him, I didn't know much about his career, and the songs he and his backing band played at extremely high volumes were completely unfamiliar to me. It was so stimulating to listen to that I ended up plugging both my ears with my fingers. However, the sound still reverberated through my stomach. I was happy to think that it would help my stomach and intestines digest better than usual. When everyone in the audience stood up with the last song, I felt like a cultural anthropologist who had attended a festival of a primitive tribe until the end. Thank you, Bob. Please come back to Nagoya again.

血縁者のひとりからチケットをもらったので行ってきました。一日も早く忘れてしまいたい、貴重な経験をさせていただきました。一生忘れないと思います。

先日亡くなったあの音楽家は「ぼくはひとの歌を聴いても歌詞が聞こえない」とよく口にしていました。実は私もそうです。子どもが流行り歌を訳も分からず歌うのは、歌詞よりもかっこよさでなじむからです。皆さんも経験ありませんか、おとなになってから振り返ってみて「よく考えたらどういう歌なんだこれって」と居酒屋でネタにする系の歌に、子どもの頃ずいぶんなじんできたんだなって。

ボブさんの歌は英語、それも各時代のアメリカの匂いが濃厚な歌詞です。それを極東の私たちが聴いて感動するのがそもそもとても変なことだと思いませんか。

だいたい、この音楽史シリーズのなかで別の音楽家さんも述べているように、彼の歌が有名になったのは本人のレコードというよりはほかの方々のカバー版が売れて、それで原版主の彼がカリスマになっていったのです。公民権運動のシンボルのごとく歌われた「風に吹かれて」(Blowin' in the Wind)にしてもたしかピーター・ポール&マリーのカバー版が激売れして知られたとかなんとか。

そういうことを私は知識ではわかっていても、いざ生で本人の歌うのを聴いても、なんにも感動しません。そもそも昨日のライヴ、どれがどの曲なのかひとつも自分には識別すらできませんでした。音量がでかすぎです。アレンジもなんというかよくわかんないアレンジしているし。全部同じ曲に聞こえます。ガイジンなんてみんな同じ顔じゃん、みたいな区別のつかなさ。

ときどきロックンロールのビートがまざるので多少体が反応はしますが、どれも中途半端。横の席のお兄さんはというと、どうしてこんなノリの悪い曲で体揺すってるんだというような歌で体揺すっているのです。

チャップリンが日本に来て能かなにかを鑑賞して、隣の席にいたバーナード・ショウと「わかるか?」「ノー」とか対話していたとかなんとか。そんな気分でした。

映画「ドライビング・ミス・デイジー」についてたけしが面白い批評していたのも脳裏をよぎりました。あの国のあの時代について民俗学者的な理解をしておかないとあれのどこが感動作なのかわからないし、そういう理解をしていて理解できたとしても、しょせんそれは本当にわかっているとはいえないものなんだと。彼はもっとおどけた口調でしたが、そんな意のことを的確に述べていました。

ディラン公演、ラストナンバーでは全員総立ちでした。私はというと、あれがラストナンバーであることすらわからなくて、置いてきぼり。歌の最後にご本人がハーモニカを弾いたのが、その合図だったのかなーと思ったりもしました、

ほら「アマデウス」の映画のなかで、主人公の作曲家さんがモーツァルトに余裕顔でこんなこと言ってたでしょ「君はウィーンの大衆を買いかぶりすぎている、オペラの締めくくりにはバーンと音を鳴らすことだ、それが拍手のきっかけになる」。モーツァルトは自信作がたった九回で打ち切られて怒っているところに、主人公はそう諭すのです。

帰りの電車の中で、モーの台詞が私の脳内で再生されました。「l never knew that music like that was possible. One hears such sounds and what can one say but Salieri!」


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