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外国語を学ぼう、最上階からタワーを作っていくように

教育論は誰でもいっぱしのことが語れてしまうジャンルです。

誰でもかつては生徒で学生だったからリアリティのある話ができてしまう。

それからおとなたちが何かに行き詰ると、子どもたちの明日にいろいろ期待を寄せてしまうわけですよ。

語学教育はとりわけそうですね。ピアノとかバレエとか水泳とかの習い事は、最終的にはその子の才能の優劣にすべてを還元してしまうぶん撤退もしやすいのでしょうけど、語学は違うのです。日本で育った者は誰でも日本語を話しているし、そこに才能の優劣は絡まないわけだから、親にすれば子に何か習い事をさせるなら外国語を望むし、世界公用語であり学歴でも優位になる科目ということで、英語を特別なものと見るのでしょう。

小学校での英語が提唱されてより、こういう子が育ってほしいとイメージする像で一番わかりやすいものといえば、やはりあれですね、ガイジンに英語で道を訊かれて笑顔でささっと英語で答えて見せるランドセル背負ったよゐこ、みたいな絵。これはずっと前より繰り返されてきた「使える英語を学校で教えてやってほしい」の声も強く意識したものでもあります。

そういうのは最終的には子どもらに、英語できます「ごっこ」をさせることに落ち着くのです。そういう運命です。「ごっこ」。

しかしそういうバイエルのお稽古ではなく、作曲をやらせるのは別のことです。語学は演奏技術と作曲の能力の両方がいるようなものです。外国語で何か意志を伝えようとするのは、曲を作るようなものだから。直観的にそういうものを作ってみせるひともいるけれど、やはり理論は知っておいて損はないし直観的にやっていても優れたものなら必ずそこに論理があります。

ただ、AIが現在ここまで発展し、さらに発展していくであろう現状を考えると、屋根から家を建てるようにして外国語を学んでいくのはごく現実的かつ有用ではないでしょうか。

SNSで外国人と外国語でコミュニケーションを楽しむことは、AIを使えばもはや障害はあまりなくなっています。「外国語を学ぶことで異文化コミュを楽しみましょう」ではなく「異文化コミュを楽しむことで外国語を学びましょう」のほうが健全とさえいえます。


うだうだと思うところを綴ってみました。いずれ続きを綴ることになると考えます。




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