「介護」の話⑤
だいぶご無沙汰してしまった、気が付いたら9月も10日以上過ぎてしまっている。その理由は…これからポツポツと書いていこうと思う。
④で書いたのは義母のこと、一昨年の秋だった。そして同時進行的に介護サポートをしていた叔父とも、翌年春から始まってしまったコロナ禍でなかなか会えない状況が続いた。
叔父の話は初めて書くかもしれない、簡単に叔父と書いてしまったが、血縁的に正確を期せば、叔母の夫ということになる。子どものいなかった夫婦で、たまたま私たち家族が住む町徒歩10分足らずの距離に住んでいた。遡ること60年程前の話だ。私たちの母は余り元気な方ではなかった、そして父は昭和の男というより大正生まれで仕事一筋+自分の趣味という生活、家族でどこかに出かけたという記憶は法事で田舎に帰る時ぐらいだった。
その逆で、叔母夫婦には色々なところに連れて行ってもらった。帝国劇場でのミュージカルや夏の山中湖、中学生に入ってからの大阪万博、筑波万博、それら全て叔父か叔母が一緒だった。一言で言えば疑似家族若しくは親代わり…
そんなこんなの子ども時代がありながら、思春期を経て結婚した後は、同じ県内とはいえ少し離れたこともあって盆暮れに顔を合わせる程度の時期が20年程続いただろうか。子育ても一段落した後、時折叔母に会いに行くようになったのは、彼女が肝臓の病で入退院を繰り返すようになってからだった。その後叔母が亡くなり、叔父の一人暮らしが始まった。
叔母は専業主婦というよりも多趣味で且つ世話焼きで、下着にまでアイロンを掛けるような性格だったが、叔父は一生懸命叔母がやっていた日常を続けようとしていた。当時はまだ70代だったこともあるが。姉は、お花やお茶を叔母から習っていたこともあり、叔父の一人暮らしに月イチ程度で様子を観に出かけていた。私はと言えば、たまに思い出して出かける程度のお付き合いだったのだけど。
その叔父が80代になり、それでも自転車を乗っていたり、喫煙をやめなかったりという状況に近所の人も心配しだした頃、私もそろそろ仕事を辞めてもう少し高齢になった親族のことを支えようか、と考え出した。本音を言えば仕事がシンドくなってパワーがなくなってきたということだったが。そして、2015年春仕事をやめた私と姉で、叔父の一人暮らしサポートがスタートしたのだ。
今日のところはこの辺で…
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