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「介護」の話④

特養、特別養護老人ホームの略だが、正式には介護老人福祉施設というらしい。以前も書いたが、要介護高齢者のための生活施設と規定されている。ここに入れたら一安心、費用も安い!とよく言われるけれど、それほどではない。ただ本人、家族の収入によって支払い限度額が決められる(これって行政によって違うらしいけど)から収入の少ない人にとってはホッとできることは事実だ。

さて、義母は結局約7年間特養に入居していた。最初の頃はどうにか杖をついて自室内で動けていた。ちなみに義母の入居していた特養はいわゆるユニット型、個室が10室その中央部にリビングがあるレイアウトだった。そしてワンフロアにこういったユニットが4つ、それが一階から三階まで。結構大きい施設だったのだ。その施設内といっても入居者が自由に動けるのは自分のユニットの中、それさえ歩けない人ばかりだから、訪問しても静かなものだった。

生活の場であることの良さはゆったりとすごせる!?、デメリットは刺激がない!毎週リハビリとしてマッサージを依頼していたものの、体操教室的な催しが始まったのは数年後、そして結局それに参加していたのは一年足らずだった気がする。刺激の少ない施設内で、毎週訪問していても認知機能、運動機能の低下を食い止めることは難しい、本人の意欲など最初からある人ではなかったから尚更だ。ジワジワと言葉を出すのがゆっくりになり、補聴器を替えても聴力は落ちていき、白内障の手術をしても見えているのか見えないのか、がこちらには分からなくなり、夜中にベットからずり落ちたということが何度かあり、ポータブルトイレがベッド脇に置かれるようになり、気付けば車椅子生活が基本となった。もちろんその頃にはまだ桜を見に一緒に外出したり、車椅子で入れる回転寿司屋でランチをしたりしていたのだが。

初めての入院はいつだったろうか、2015年秋頃の入院は内臓とか呼吸器系とかではなかったが、2017年春頃からは度々入院するようになってきた。いわゆる誤嚥性肺炎…地域の病院から地域の少し大きな基幹病院へと入院先が移ったのはいつ頃からか。入院しては絶食となり、少し口に入れられるようになると退院となり、それが何度も繰り返された頃、ドクターから療養型病院を勧められたのだ。当時といっても未だ2年弱しかたっていないが、その意味するところの奥にある状況を全く理解していなかった。そして、ソーシャルワーカーの方と相談を始めていた数日後、あっけなく旅立ってしまった。

今は呼吸が安定しています、という言葉に、数時間はOKだろうと思った私も甘かったが、ホンの30分の間で急変した…

「介護」の話もこの辺で一旦終わりにしておく。今は現在進行形の介護サポートで時折バタバタと動いている…

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