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介護の話⑥

介護といっても介護支援的な話だということは最初に書いた。そして、その介護支援さえ終了してほぼ一年近くなった。やっと落ち着いて書ける時期になったのかもと思う。

⑤で書いた叔父の話になるのだが、彼はほぼ5年間のサービス付高齢者専用住宅での生活を終えて、昨年7月に亡くなった。2021年年明け辺りからの彼の変化は、こちら側が追いつかないほど急激で、本人はどのように思っていたのだろうか、と今でも時折思い出しては、あちこち連れ回すように病院で診察を受けさせたことを申し訳なかったな…と感じている。それでも何か、明確な言葉、診断が、私たちは欲しかったのだと思う。

結局最期まで何がどうなってこうなってしまったのか、は判明することなかった。そのことが今私が精神疾患というものに強い興味と関心を持っていることの大きな理由でもあるのだ。せん妄だとか幻聴だとか幻視だとか意識喪失とか、その言葉を介護士や看護師から聞き、実際に目の当たりにしても、彼はそこにいるのに今そこには居ない、そんな状況に何もできなかったし、何かする必要があるのかも分からなかった。ただ隣にいて見守るだけ…彼にとってそれは幸せな時間だったのか、それとも不安だったのか…

幸いだったことは、要支援1、ほぼ自立の状態で入居して、見守りから介護への移行も顔馴染みのスタッフの方々で変わることなく、生活出来たこと、徐々にそして時に急激に変わっていく彼の姿を、私たちのように驚いたり焦ったりすることなく、当たり前だろうけど、彼の日常を支え続けてくれたこと、彼にとっては心安らかな時間でもあっただろうと信じたい。騒がしい姪たちを疎むこともなく付き合ってくれたのも、安心できる自分の場がそこにあったからなのだろうなと。

彼の最期は、私たちにとって親世代の親族がほぼこの世界から居なくなったことを意味していた。次は…。近い年齢の従姉妹でさえ亡くなってしまった後で。

この先私が介護の話というか介護支援のことを書くとすれば、それはもっともっと身近な人の話か、逆に少しご縁のある人の話になるだろう。ということで少し消化不良かもしれないけれど、この話はここで終わりにしておく。

最後に、65年近く私を見守り続けてくれた叔父に感謝!



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