テムズ川のような4年間を振り返って
大学を卒業しました。
昔から、節目節目に何かをすることが本当にできなくて節目の結構後にぬるっとお礼を言ったり出来事を振り返ったりしている。
多分、興味のあることに向き合いすぎるせいで振り返るとかフィードバックするみたいな工程が人の何倍も苦手なせいだ。
なんだか今日なら書けそうな気がして勢いのまま筆をとった(キーボードを叩いた)。
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ーーー大学卒業から早くも3ヶ月も経ち、(自分でも驚いているが)東京で働きはじめている。時々ふと、歩きながら、あの4年間は夢だったんじゃないかと思う時がある。あの曇り空や図書館を思い出し出すと同時に目の前の地元の景色があまりに地元すぎて、また会社で研修を受ける自分の姿があまりに面白くて、2つの景色が同じ世界線にあることが嘘のように思える。
僕はあの4年間で何を学んだのだろう。ものすごく苦労した気もするし、のんびり過ごしていたような気もする。
大学生活に未来への期待と世界への好奇心を募らせていた、かつての高校生の自分には、ごめん今も何もわかっていないよと言いたい。でも、少なくとも、いくつかの楽しいことといくつかの苦しいことを異国の地で経験できたことは何事にも変え難いから迷わずそのまま行け、と言うと思う。以下、特に頑張った学業と部活(ボート部)のことを書きたい。
学業
まあまあ権威のある大学でまあまあ看板学部(政治経済哲学部)を世界の優秀な人たちとブーブー文句言いながら学べたことはやっぱり、色々な意味で特権的なことだったんだと思う。
親族と運に感謝。ギリシャ・インド哲学、美学、意味論、金融マクロ・ミクロ経済、国際関係論、、4年間では学び切れないくらい色んなことを勉強したが、形而上学(特にイン哲)は本当に面白くて人生に大事な指針を与えてくれた。2年目に哲学に絞ってからは毎日が面白くて、哲学科の合宿は夢のようだったな。今全く仕事で役には経っていないと思うが人間的な面白さにはなっていると思う。
だからこそアカデミアに進む友人たちには尊敬しかないし自分もいつかはまたアカデミアに戻りたいと思う。
部活
そもそもなんで3年近くもボート部なんかに入ったのだっけ。高校の部活を最後までやり遂げられなかったコンプレックスなのかイギリスっぽいから入ったのか忘れたけれどとにかく勉強と就活が疎かになるくらいには頑張った。
最初1年はキツくて全然楽しくなかった。いくら頑張ってもスタメンにはなれないわ、白人ばかりで会話に全然入れないわで辞めたがってたが、よくあの1年頑張ったと思う。誰だよイギリスは上下関係ないとか言ってたやつ。死ぬほど飲まされたし軍隊かと思うくらい意味わからんくらい練習させられたんだが。
朝5時、London Bridge から国鉄で練習に行く途中、チームメイトと話したくなさすぎて気づかないふりして車両の端っこで寝たふりをしていたらいつの間にか涙が出ていたことを思い出すと今でも胸が締め付けられるような気持ちになる。
めげずに1週間に勉強もせず10回も練習をしたおかげで、成績は下がったし友達は減ったが次の年から活躍することができて本当に嬉しかった。初めての1軍ネクタイ(1軍メンバーになるともらえるネクタイ)と色々な大会でもらった3つのメダルは今でも宝物だ。ヘンリーロイヤルレガッタには10年連続て出場することができなかったけれど、友人と言うより戦友だな、同期とあえてよかったと心から思う。
冬の練習で、船の上からチームメイトの背中越しに見えるテムズ川と朝日は息を呑むほど綺麗だった。
仕事
おまけに仕事のことを。
友人に就職のことを聞かれると「うんまあ適当にね」とか「なんとなくのご縁でさ」とかすまして答えている。
無駄に矛盾した性格のせいで、あるいは、心を一定の人にしか開きにくいせいでそう答えているが、これは半分事実で半分嘘である。
実は企業、と言うよりとある会社に長い間片想いをしていまして、本当に本当に惜しいところまで行ったのですが惜しくも落ちてしまったわけです。結構自分では頑張った方だと思うんだけどなあ。熱意はあったと思うのだが、まあ最終面接は運の要素もあるしな。今の会社も数社の中から直感的に選んだところはあるし、何より1年半も待ってくれたくらい良い人ばかりで結局満足。
こうしてみると人生、さまざまな要素において望んでいた放物線の少し下をいつも描いているように見えて見えてなんとも言えない気持ちになる。でもみんなそんなもんだよね。
努力か決定論か、みたいな議論において、それは無論両方なのだが、努力しなければ決定論がそもそも成り立たないと思う。当たり前だが単に努力は決定論の必要条件である。
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結局、自分の人生に意味づけができるのなんて時間が経ってからじゃないと無理だと思う。
世界中にある卒業と同時に描いたSNSのキャプションなんて全部嘘っぱちだ。(何が卒業を誇りに思うだよ)
やっぱり節目節目で振り返る必要なんてないと思う。
物語は作るものじゃなくて作られるものだと思うしだからこそ全力であるべきだ。
これからどうなるかなんて知ったこっちゃないが、僕は僕なりに精一杯船を漕いでいきたい。
その過程が、凪でも、嵐でも、あるいはテムズ川くらい汚れているとしても楽しんで行けるといいな。
僕が過ごした4年間は、きっと何かに向き合ってきた4年間だったと思う。あの厚い雲の下、みんなで色々なことに文句をいいながら、それでもそれぞれの熱情を大切にしていたあの街の風景を、きっと忘れることはないだろう。