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その言葉、武器とするか花束とするか

言葉っていうのは案外、物凄い力を持っているものです。それこそ世界を変えてしまうくらいの。

何気なく放った言葉が誰かの支えになっていたり、夢への道導になっていたり、明日の朝目覚める理由になっていたり。

逆も然り。

何気なく放った言葉が誰かの足枷になっていたり、諦めの点滴になっていたり、目なんて覚めて欲しくないと思う理由になっていたり。

しかし厄介なことに、放った本人はその言葉を大概覚えていません。それも相手の心を抉る言葉になる程覚えていません。
覚えている人っていうのはその発言を後悔している人か、初めから抉るつもりで放った悪魔かのどちらかだと思います。
前者はまだ救済の余地はありそうですが、素直に謝罪できなければ意味がないですし、後悔するなら言うなって話です。後悔先に立たず。
後者に関しては論外です。これはもう救いようなし。同じ人類であるという事を恥じるまであります。
と、悪口を批判している私が悪口で批判しているという何とも滑稽皮肉な矛盾。

こうなってしまうと、常日頃から言葉選びの為に神経を擦り減らしてしまい、とても生きられる環境ではなくなってしまいます。そもそも全人類がこの意識を持っていれば世界平和を願い事にする美学なんてものは存在していなかったはずです。
ただ、本も生まれていなかったのかと思うと何ともむず痒い気持ちになります。

相手を傷付ける言葉、心を抉る言葉は放ってほしくありませんが、相手を幸せな気持ちにできる言葉、心を満たす言葉は沢山この世に放って欲しいです。
中でも「好き」と「ありがとう」は限度など設けずに放ち続けて欲しいです。
誰か相手じゃなくても構いません。好きになるべき存在、感謝するべき存在はまずは自分自身です。
自分への感謝の伝え方を知らない人が誰かに心からの感謝を伝えることができるでしょうか。
自分を愛することができない人が誰かに心からの愛を叫ぶことができるでしょうか。
私は到底無理だと思います。
だから、誰かにだけではなくて自分にも沢山の素敵な言葉を放ってあげて下さい。とびっきり優しくしてあげて下さい。

そして自分に優しくできるようになったら、自分以上に優しくしたいと思える人へ感謝と愛をこれでもかってくらいに伝えてあげて下さい。
そうすればきっと、感謝は2人を超えて、愛は永遠を誓うはずです。

どうか皆んなの言葉で世界が照れてしまいますように。

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