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コロナ太りかと思ってたら、癌だった話。⑧

その時、患者は地獄を見た。

朝食前の時間、不安げな表情で朝の挨拶をして来た若い兄ちゃんが研修医だとわかるのに、時間は掛からなかった。
ネームプレートにそう書いてあったからね。

この時点で何もわかってない患者は、これから何が起こるのかわからないまま朝の挨拶を返し、よろしくお願いしまーすと言われるがままに腕を出す。
「あ、こっち側じゃ無いんです」と内側を出した掌を返された。
あれ?そうなの?
「採血とは違うところに入れるんです」とな。
ここから研修医くんの格闘が始まる。

とにかく、針が入らない。
こちらの血管が細いのもあるが、アタリを付けながらも顔にはここで良いのかなと大変わかりやすく書いてある。取り敢えず刺してみるけど、見当違いの位置なので患者は痛がる。皮膚に刺してからココジャナイと気付き、そのまま血管を探されたりもした。その度に痛いと暴れる患者。次第に腕が血痕だらけになり、更に焦って顔に出まくっている研修医。
「すみません、ちょっと待ってくださいね」と消えて暫くすると、先輩医師と共に戻って来た。

先輩医師も若い男性だった。察するに2年目か。
全くもうー。的表情で針を手にすると、先程同様すぐ困った顔になった。どうやら私はルートを取るのが大変な腕らしい。苦笑いしながらやっと針がおさまる頃、たくさんの血痕が腕に出来ていた。

点滴用の針は採血や注射用のものと違い、プラスチック製で少し太めだ。故にきちんとした位置に刺せたとしても多少は痛い。今回は細めのを使ってくれたようだが、上からテープで覆われた部分がじんわりと痛んでくる。針から伸びた管をクルクルと巻いてテープとネットで固定し、2人は病室を出て行った。

この間だけでも、背中に冷や汗をかいている。
この儀式をあと7回もやるのか。気持ちはブルー。
この針は丸1日、場合によっては明日の朝まで入ったままになる。通常は利き手じゃない方の腕に刺さそうだが、私は交差利きの為 考えた末、箸を持たない方に刺してもらった。

朝食と回診が終わり後は抗癌剤を落とすだけになったが、それまでが本当に暇だ。大体の開始時間は聞いていたが、一向に看護師さんが来ない。ぼんやりしている内に昼食の時間になってしまった。
ちょこちょこ様子を見に来てくれた担当さんに尋ねると、薬剤の到着が遅れていて、同じ日に化学療法をやる患者全員の分がまだ来ないのだそうだ。

こう言うのよくあるんですか?
あー、いや、普段はもう少し早いんですけど…(苦笑)。
しょっちゅうあるんだな。

十分過ぎる食休みが取れた頃、主治医と共にやっと薬が到着。初回なので立ち会ってくれるらしい。
「頑張っていきましょー」とK先生いつもの決め台詞。いや、点滴だけやん。何を頑張るんだ?と思いつつ「はぁ」と気の無い返事を返す患者。
「いやあ、薬大分遅れたね。この時間だと夜結構遅くまで行きそうだなあ」「そんなにたくさん入れるんですか」「種類入れるのもあるけど、抗癌剤は一気に落とせないからね。それが時間食うのよ」
なるほど。
K先生は看護師さん2人がダブルチェックしてる横で腕組みしながら時折茶々も入れつつ、点滴が落ちたのを確認してから再度決め台詞を言い、去って行った。

さて。
いきなり暇になってしまった。何をしよう。
この時点でまだお上りさんテンションは高いままなので、病棟探検する事にした。
とは言っても、すぐに一周し終わってしまった。本気でする事が無い。ぼんやりしたまま1日が終わり、夕食も終え、最後の点滴が終わる頃には夜の11時近くになっていた。

なんだ、楽勝じゃないか。
入院までしてやる程では無かった。明日にはもう退院だ。これなら、仕事しながら抗癌剤出来るじゃん?
化学療法を完全にナメてた患者はまだ気付いてなかった。初回だからテンション高かったのと、抗癌剤は蓄積していくものだと言う事に。

こ、これは?

退院してから3週間後。2週間後の診察も問題無く終え普通に出勤すると、職場も何事も無かったようにいつも通り。一部の人にしか病気の事は明かしていなかったので、リフレッシュ休暇を取っていたと思っていた人が殆どだったろう。
1週間出勤したらまた3週間休む事になってしまうが、普段から仕事詰まってるー!有休消化出来ーん!と叫んでるのもあり、「ゆっくり出来たぁ?」と声を掛けられたりもする。
上司に一応出勤出来ている旨を報告すると、「ホントに?本当に大丈夫なの?」と異常に心配された。元々発覚した時から自覚症状無かったから、(大袈裟なんだよなぁ)と思いつつ、溜まっていた仕事を片付ける。

いつもと変わらない。
何だか夢を見ていたような気分だ。
もしかしてこれは、有休も碌に取れずストレス全開な状況で発生した、自分の願望に近い妄想だったんじゃ無いか。実のところは何でも無くて、溜まった有休も消化出来てないんじゃ無いか?と思いつつ数日経った頃。
仕事中頭がムズムズするなぁと思い、(職務上普段は髪に手を出す事が無いのだが)何気に頭頂部を触ると、髪がぽそっと落ちて来た。

げ。抜け毛多い方だけど遂にストレスが頭皮に来たかと思いきや。触れるたびにぽそ、ぽそっと数本ずつ取れてくる。落ちると言うより本当に取れる感覚。枯葉が落ちるような。椿の花が落ちる時のような。しかし落ちた部分を鏡で確認しても、何の変化もない。

こ、これはもしや。
いやでも1〜2本抜けるなんて普段からあるよな。
それによく聞くバサーッ!て感じでも無いしな。
考え過ぎだ。
いつもの抜け毛に神経質になり過ぎだろう、自分。

そのうちそれは止まり、止まったからその事もすっかり忘れ、次の週また休む事になるからと前倒しで仕事をやっつけ、2回目の投与に臨んだのであった。

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