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I Didn’t Mean to Haunt You / Quadeca

自分の歌もの曲を作ることばっかり考えているもんで、声の扱いがおもしろい音楽に惹かれやすい時期。

同じ人の声がいくつも重なる曲は、ライブをするときにひとりでさせるのがむずかしい。自分はひとりしかいないので、なんかしらの方法でリアルタイムに謳っていない自分の声を鳴らす必要がある。

アメリカの hip-hop ラッパーたちは、小さな声量でラップするトラップが主流になってから、トラックに声を入れて流して、リップシンクをさせたりトラックの声に声を重ねたりすることに対して、すでに罪悪感を感じていないらしい。本人がステージ上にいることが最大の意味になっている。いまいち納得しづらいところはあるけど、ライブと音源との扱い方の割り切りが潔くて、その精神が羨ましいと思う部分もある。

しかしライブハウス育ちの俺は、漢たるもの裸一貫で勝負しなはれ!と思ってしまうので、今のところ自分の歌もの曲は、コーラスなし、声の多重使用なしでやっている(曲自体はめちゃくちゃパソコンだよりだけど)。

Quadeca はライブでどう再現させているのか知らないけど、少なくとも音源上での声の取り扱い方がめちゃくちゃおもしろい。たとえばこの音楽はトラックに声が組み込まれていても嫌じゃないかもしれない。声が歌が音楽的要素としてとても強く位置付いている。

昨日ちょうど友だちのさわひろ子さんの声だけを使って、即興演奏をした。サンプラーに収めたたくさんのさわひろ子さんの声や歌をリアルタイムでいじりまくって、音楽を構築していくというもので、声だけで音楽を作るおもしろさを少し理解した。そのあとにたまたま聴いた Quadeca の音楽は、それに通じるものがあって、というか俺が勝手にそう解釈して、今俺が声、歌にとても意識を向けていることに自分自身で気付かされることになった。

なかなか「これだ!」と思う演奏スタイルが決定しないなか、すごく重要なヒントをもらった気がする。

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