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「いちじくlabo」限定マガジン

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“よい教育”の「いちじくlabo」の記事をナンバリングし、シリーズとしておとどけしています。
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記事一覧

【期間限定全文無料】#10 “ありのまま”の罠

“ありのまま” 教育現場にいる時、この言葉を聞くことは多いのではないでしょうか? “ありのまま”は、人の“よい姿”として表現される時に使われることの多い言葉だと感じています。 しかし、この“ありのまま”という言葉は、どのように“よい教育”の中で位置付けることができるのでしょうか? こちらのnoteでは、「先生にとっての“ありのまま”」をテーマにして文章を綴っていきます。(1800字程度の短めの記事になっています!) これは、無花果として大切にしている考え方の1つです。

#9 先生としての在り方の〈北極星3+2〉とは? ver.2024/4

みなさん、こんにちは! こちらのnoteでは、“よい教育”の実践者としての「先生の在り方の北極星」について述べてきます。 教育哲学を底に敷き、具体的にどんな教育を行っていけるとそれを“よい”と言えるのか。 無花果を運営する中で見えてきたエッセンスをこのnoteに全てまとめます。 0から説明をしていくというよりは、これまでのnoteで述べてきたことなどは自明のことのように記していくので、わからないところがあればnoteを遡っていただけますと幸いです! (まだ過去のnoteで

#8 結局スタッフと話しているのって、2つのことだなってお話。

今の無花果ではCEO・学園長の僕が現場いなくても、全く問題なくスクールが運営されていくという状況にあります。 (本当に嬉しい…。素敵な仲間に囲まれて、一緒に“よい教育”をつくっていけていること、本当に感謝でしかないです。) そんな中、最近週1回2時間ほど、僕も含めてスタッフで集まってゆるやかにお話をする時間を固定でつくっています。 というのも、元々は生徒が帰った放課後に話をしよう!としていたのですが、生徒が増えるにつれてその時間の確保が難しくなり、スタッフ同士での対話の時間

#7 “よい教育”の実践理論を、4象限で考えてみる

“よい教育”の北極星を掲げ、環境やコンテンツを日々つくっているわけですが、この「実践」をつくる時の観点だったり、その方法論までを突き詰めていくことを無花果では大切にしています。 これらを無花果では「実践理論」と呼んでいて、体系化をしていったりしています。 この実践理論が、書籍化に伴い最近「更新」されつつあるので、そちらについてまとめていきたいと思います。 DO-BE , 顕在-潜在①~④をくるくるしながら、どんどん④が深まっていき〈欲望-関心〉の中心点が見つかっていく。

#6 民主主義をより導入していこうって考えたり

こちらのnoteより、日々の僕の感じ取ったことや思考などを垂れ流していこうと考えています! 今はマガジンの名前が「垂れ流し」になっていますが、無花果のコンセプト的に「垂れ流し」をいい言葉に変換したいなって感じているので、もしいいコンセプトの言葉などが思い浮かんだ方がいらっしゃいましたら教えていただけますと嬉しいです!笑 ということで本題です! 最近、「やっとだ…!嬉しい!」と感じることがありまして、それは 「今なら、無花果の生徒と一緒にルールメイキングをしていける!」という

#5 「道徳性の発達」と、「欲望-関心の中心点」と、「才能」と。【前編】

みなさん、こんにちは。 今日は〈欲望-関心〉の中心点を見つけ、その輪郭をはっきりとさせていくためのhowの1つを、“よい教育”の実践理論につなげるカタチでここに考案していこうと思います。 これまでは哲学に基づいた「そもそも“よい教育”とは?」などという問いを中心に扱ってきましたが、このnoteでは“よい教育”を実践するためのhowにまで抽象度を落とし、文章を綴っていきます。 まずは、いつもの通り“よい教育”の定義に立ち返るところからスタートします。 ここにある〈自由〉の

#4 すべては〈欲望-関心〉からはじまる。【理論編】

みなさんは「現象学」という学問(思考原理)をご存知でしょうか? 「いちじくlabo」に入ってくださるくらいのみなさんでしたら、きっとご存知の方もいらっしゃると思いますし、今知らなくてもいずれどこかで出会っていた学問(思考原理)だと思います。 「現象学」とは、あらゆる学問の根底にある“べき”と言っていいくらいのものであると私は“感じて”います。 (現象学を学ぶ上でのおすすめの書籍は以下です。私も厳密に言うとこの入門書すら完璧に理解をしていると言えないですが、教育に携わる上で

#3 「探究」を狭義で捉えていない?フリースクールにおける“よい学び”とは?

さて今日は教育のおける本質的な問いとも言える、“よい学び”とは何か?という問いのこたえに一緒に迫っていければと思います。 なおタイトルの通り「『フリースクールにおける』“よい学び”」を綴っていきますが、実際には「『学校(公教育)における』“よい学び”」に迫っていっていく営みの一端だと捉えていただけますと嬉しいです。 フリースクールは(2024年1月現在)制度的な規制がないからこそ、「“よい教育”の定義に則り、∞の手段を用いて“よい教育”つくっていける存在」だと私は捉えてい

#2 「一般福祉」を実質化する存在としてのフリースクール 〜 フリースクールは国家の根幹を崩しかねないのか 〜

みなさんはこちらの記事を読んだことはありますでしょうか? 「国家の根幹を崩しかねない危機感を持っている」 これはフリースクールに対して向けられた言葉です。 記事内から読み取るに、この言葉を受け以下のように批判が集まっていることが分かります。 さて、ここからしっかりと考えていきたいのですが、「フリースクールは国家の根幹崩す」ということは果たして100%言い過ぎな表現なのでしょうか? こんな時こそ感情で反応をするのではなく、条件解明的に思考し意見をもつことを大事にしていき

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#1 “よい教育”を定義する営みって、画一的な教育を生む営みなんじゃないの?について

“よい教育”は定義できる。 “教育の本質”は存在する。 こうした言葉に、あなたは違和感を覚えますか? かつての私は違和感を覚えていました。 というよりも、 「よい教育なんて、定義できないよね。だって人それぞれだもん。」 という、まさに思考停止状態にあったなと感じています。 私たは無花果(いちじく)という名前で様々な教育事業を展開していますが、次のような旨の言葉を直接届けられることもよくあります。 しかし、教育について実践者として学んでいくにつれて、 これまでの人類の紡

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