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【意訳】ホワイトキューブはどの様にアートへ導入されたのか?

 ソースhttps://www.artsy.net/article/artsy-editorial-white-cube-dominate-art

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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How the White Cube Came to Dominate the Art World
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Artsy Editorial By Abigail Cain Jan 23rd, 2017 11:23 pm

本棚から引っ張り出してきた雑誌のコピーによると、1976年に美術家兼批評家のブライアン・オドヘアティは、アートフォーラム誌のエッセイの中で、この騒々しいアートワールドは3つに分けて定義できると述べた。“ホワイト・キューブの内側”と題されたその記事は、美術館や商業ギャラリーが長らく用いてきた展示形式にキャッチーな名前を与えることになった。オドヘアティは自分の言ったことばに対する想像以上の反応に衝撃を受ける。
“あまりに反響が大きかったので、(俺は何を書いたんだ…?)と思わず口から漏れましたよ。ホワイトキューブという呼称は的を得ていたようで、何人かが私の元にやって来て『あのさ、私もその事について書こうと思ってたんだよ』と言ってきたほどでした。”

何はともあれ、オドヘアティはホワイトキューブという信頼性の高い新語を生み出し、それは美術の教養として重要な専門用語になった。ただ、この展示方法自体はその数十年前に既に発明されていた。NYのMoMAは1930年代から現在まで、この展示方法で作品を収蔵・展示してきた事で広く信頼を得ている。
しかし、展示方法がホワイトキューブへと進化した過程を知るには、更に過去へと遡る必要がある。MoMAの展示スタイルは長きに渡って行われてきた研鑽の結晶であり、美術館のディレクターやキュレーター達が、大陸や世紀をも超えて議論してきた努力の賜物なのだ。

公共の大型美術館が開館したのは18世紀で、最も知られているものだと大英博物館が1759年、ルーブル美術館が1793年に始まった。これらの施設は凄まじく肥大化したプライベート・コレクションであり、美術品はシンメトリーに密集して展示され、当時の目利き達もこのやり方を真似すれば良い展示になると信じていた。
また、当時の美術館はパリのサロンから影響を受けており、美術品を売るために壁には床から天井まで隙間無く絵画が架けられていた。アーティスト達もこの新しい公共空間に魅了されたようで、19世紀初頭の絵画は主に美術館のギャラリーで飾る為に制作された。

Martini, Pietro Antonio, Exposition au Salon du Louvre en 1787, 1787. Wildenstein Institute, Paris.

だが、美術館に心を奪われていたのはアーティスト達だけではなかったようだ。入場者数も19世紀の間に一気に増加した。ロンドンのサウスケンジントン・ミュージアム(現ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム)の報告書によると、1857年の年間入場者が45万6千人だったのに対し、1870年には100万人を超えている。
“19世紀中盤には既に、美術館は作品を個々に隔離して展示しなければならない、というのが一般認識でした。鑑賞者に作品本来の素晴らしさを見てもらうために、詰め込み過ぎを避けながら壁面へ架けていたのです。”と語るのは、タフツ大学の美術史博士であるアンドリュー・マクレランだ。
“ごちゃごちゃした壁面は、個々の作品が持つ本来の魅力を見えなくしてしまうと考えられていました。”

当時の英国人経済学者:ウィリアム・スタンリー・ジェヴォンズは、1881年から82年にかけて書いたエッセイにこう記している。“夥しい数の作品を展示しても、普通ならばその摑みどころの無さに当惑し、脚が疲れて頭痛がしてくることだろう。”
このような批判を取り入れ、ロンドンのナショナル・ギャラリーは1800年代半ばより絵画の配置に関する実験を開始した。鑑賞者が作品を見るために首を上げたりしゃがんだりしなくても良い様に、ディレクターのチャールズ・イーストレイクは目の高さに作品を展示することを始めたのだ。
“この試みによってギャラリーの壁面は突然スカスカになり、壁の色を決めることが重要な要素になってきたのです」と指摘するのは美術史家のシャルロッテ・クロンクである。この記事はTateが発行したan interviewに掲載されている。“まず最初に、壁の色が議論の上で決められました。”
イーストレイクによって変更されたギャラリーの壁は、知覚心理学の研究に基づいてグレーがかった緑と赤へと変更された。“壁の色・金色のフレーム・寒色で描かれた絵画との相互作用は、鑑賞者を美しく調和した鑑賞体験へと誘うのです”とクロンクは主張している。

https://www.artsy.net/artwork/candida-hofer-hermitage-st-petersbourg-xCandida Höfer Hermitage St. Petersbourg X, 2014 Ben Brown Fine Arts
https://www.artsy.net/artwork/candida-hofer-musee-du-louvre-paris-xxi Candida Höfer Musée du Louvre Paris XXI, 2005 Matthew Liu Fine Arts

しかし、これらは僅かな方向転換であり、抜本的改革は幾つかの理由から難しい状況にあった。美術館が建設当初に作品保管の問題を考慮していなかったことも原因の一つである。それはつまり、壁以外に作品を置いておく場所が無いことを意味していた。

またここで一つの疑問が生まれた。壁に残す作品と取り外す作品、その選択に誰が責任を持つのか?ということだ。19世紀にはまだプロのキュレーターは存在しなかった。というより、この超過密展示に関する諸問題が20世紀初頭にキュレーターという職業を生み出したのである。
これらの議論はまずはじめにヨーロッパで発生したものだったが、世紀が移り変わる頃のアメリカの美術館においても同じ問題が技術の革新を促すことになる。
1909年、ボストン美術館が新しいボザール様式(ヨーロッパ古典様式)の建物に移設された際、そこには最も素晴らしい作品群だけが展示され、多少劣る作品は地下へと格納して学者しか観れないようになっていた。展示空間はとても明るく、惜しげない広さが確保されていたが、絵画はまだ縦に重ねるようにシンメトリーな配置で架けられていた。
それでもボストン美術館は縦に重ねて展示するのは2段までに制限し、今までのように床から天井までの多段架け展示をやめた。各作品には一息付けるような空間が与えられ、壁の余白部分に引かれた線によって他の作品から隔離されるように展示されていた。

“作品を展示するにあたっての選択肢はさらに多くなり、20世紀初頭には、高尚な鑑賞体験を与える方法に関して数多くの議論が交わされました。”とマクレランは語る。“興味深い実験が何度も行われましたが、特に照明に関するものが多かったようです。同様に、どんな構成で絵画を配置するのが展示全体にとって最善なのか?という事も重要な研究対象でした。”
展示方法は1893年から1925年にかけて、  ボストン美術館の書記官ベンジャミン・アイブス・ギルマンによって典型化された。彼は美術館での展示に関する経験的学習を本にまとめ、1918年に出版したのだ。そこでギルマンは、彼がいうところの『美術館疲れ』を撲滅する方法を幾つか提案している。
そこには鑑賞者がしゃがんだりしなくても作品がはっきり見える様に展示位置を調整するべし、という指摘も含まれていた。また、ギルマンは当時の美術館に多く見られた、『余りにもバリエーションに富んだ壁の色』 をやめる様に提案しており、壁の色は茶色がかった明るい灰色、もしくは黄色がかった暗い灰色に統一することが好ましいとしている。

Early American Room, Museum of Fine Arts, Boston, Mass. Image via the Library of Congress.

かくしてアメリカの美術館は新しい展示技法の実験場になっていったのだが、実験が行われていたのはそこだけではなかった。大西洋を隔てたドイツでは、ギャラリーの壁を白に塗ることが徐々に定着していたのだ。
人によっては当時の流行の最先端であったバウハウス系のインテリアを連想した様だが、白い壁は作品に干渉しないニュートラルな背景であり、おかげで一定期間ごとの展示替えが楽になった。このスタイルは、20世紀には美術館の展示においても徐々に定着していく。

しかし言っておくが、第三帝国(ナチス・ドイツ)が国家を掌握していた1930年代の間に、ドイツのギャラリーの壁が白へと標準化されたのではない。“イングランドとフランスにおいて白い壁が美術館に導入されたのは第二次世界大戦後ですから、ホワイトキューブはナチスの発明だと言いたくなりがちです。”とクロンクは語る。
“確かにナチスは同時期に、純粋性を象徴する色として白色を政治利用しましたが、美術館における白い空間はどんな展示にも融通が利く標準仕様として使われ始めたものなので、ナチスの意図とは関係ありません。”

さて、アメリカとドイツ、両方の専門家達が開発してきた展示方法が、徐々に今日におけるホワイト・キューブの構想へと近づいてきた。この展示戦略を最終的に確固たるものに仕上げたのは、MoMAの最初のディレクター: アルフレッド・バーであった。だが、それはMoMAが初めてこれらの方法論を一本化した美術館である、という意味ではない。マクレランによると、ハーバード美術館とワズワース・アテネウムの両館が1930年代初頭には既にホワイトキューブ的な方法論で展示をおこなっていた。“それなのにMoMAが第一人者とされているのは、彼らがその展示手法を制度化したからです。基準ができたおかげで、同じような展示方法を既に取り入れていた他の美術館も職員に指示を出しやすくなったのです。”

Installation view of the exhibition “Cubism and Abstract Art,” on view at The Museum of Modern Art, March 2–April 19, 1936. The Museum of Modern Art Archives, New York. Photo: Beaumont Newhall

ホワイトキューブが本格的に用いられたのは、1936年、バーがキュレーションした“キュビズムと抽象美術展”である。
その頃のMoMAはロックフェラー・タウンハウスというボザール様式の古典的な建物で運営されていたが、それでも壁と柱は白く塗られ、装飾的できらびやかだった装飾品は単純化された。木製のフローリングが剥き出しにされ、壁に架ける作品数は控えめに抑えられ、幾つかの作品は1点だけで1つの壁面を占拠していた。作品は美術史の流れを辿る様に配置されたが、政治的・社会的な文脈は無視していた。
バーは絵画や彫刻が、その視覚的インパクトによって直接鑑賞者に語りかけてくる展示にしたかったのだ。そして照明の調整と装飾性の排除によって作品は個々に隔離され、より美しく展示されていた。

また、彼らは空間設計においてアートを特別扱いし始めた。「19世紀の美術館は効果的な作品展示ができていないと思われていました。」とマクレランは説明する。“そこにはあまりにも派手で荘厳な空間があり、なおかつ作品が充分に強調されていなかったので、鑑賞に理想的な環境とは言えなかったのです。そこでキュレーターという新しい人種は、美術館の展示室はむしろ隅々まで何もない空間にデザインする必要がある、という事を言い始めました。”

53番ストリートにあるMoMAの新館は1939年、これらのキュレーター的センスを完璧に取り入れた状態で開館した。それは壮大というより商業的な雰囲気で、デパート1階正面にあるようなガラス張りの空間にヒントを得て設計された。その内側は小さく親しみ易いギャラリーに分かれており、建築そのものではなく展示作品に注目してもらう事を狙った構造になっていた。

Installation view of “Francis Picabia: Our Heads Are Round So Our Thoughts Can Change Direction” at the Museum of Modern Art, 2017. Photo courtesy of MoMA.

“1939年から40年代にかけての記録写真を見ても、まるで昨日撮った写真を見ている様に感じると思います。 その頃から展示方法はほとんど変化していませんから。”とマクレランは言う。
一方でホワイトキューブはより広く浸透し、NYの美術界の礎となっている。“50年代ごろにはもうホワイトキューブはありふれたものとなり、NYの商業ギャラリーはMoMAと完璧に同じホワイトキューブになっていました。人々はギャラリーのホワイトキューブで買った作品を家に飾り、その後に美術館へ寄付して、またホワイトキューブで展示してもらうのです。”

今日におけるホワイトキューブと近代美術の歴史は多少なりとも不可分な関係にある。一つの例として、60年代以降のフォーマリスト絵画に対する批評家、デイヴィッド・キャリアの指摘に触れておこう。“フォーマリスト絵画は外界から隔離されています。このジャンルの作品は完全に自己言及的なのです。あなたがその閉ざされた絵画空間に入り込みたいと思うことはあっても、その画面を外界を見る窓として覗き込もうとは思わないはずです。この鑑賞体験は、再現性のある印象主義絵画を観たときとは全く異なる感覚を生み出します。”
しかし近代を超えて21世紀になった今でさえ、ホワイトキューブの代わりになるような優れた展示手法は存在しない、とマクレランは考えている。MoMAが革命的な展示方法を確立させて80年が経ったが、このキューブの外へ一歩踏み出すことは未だに難しいようだ。

—Abigail Cain


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