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【意訳】タイタス・カファー:美術史に黒人を描き加えること・問題のある記念碑への解決策

Titus Kaphar on Putting Black Figures Back Into Art History and His Solution for the Problem of Confederate Monuments | artnet News


Terence Trouillot, March 27, 2019
Source: https://news.artnet.com/art-world/titus-kaphar-erasure-art-history-1497391
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。

Titus Kaphar. Photo: Christian Hogsted.

タイタス・カファーは2014年にTime誌の仕事として、“今年の人”のファイナリスト:ファーガソン騒乱における抗議者達の絵を描いてすぐさま脚光を浴びた。その絵画、Yet Another Fight For Remembrance (2014)(今も、忘れさせないための戦いがまたひとつ)は4 × 5フィート(1.22 × 1.52 m)のタブローで、ミシシッピ州ファガーソンにおける抗議者集団を描写した上に白の絵具が塗られ、まるで絵画の平面上から(比喩的に言えば、歴史の記憶から)消されているように見える作品だ。

2019年で43歳となるカファーはこれ以降、マッカーサー・フェローシップを含む作品への称賛を数多く受けている。その絵画と彫刻は、歴史において何が視覚的に記録され、そして抹消されてきたのかを表現したものだ。切る、タールに浸ける、割く、折り曲げるといった様々な技法によって、カファーはアメリカの過去の不都合な歴史や、長らく忘れられ、語られてこなかった事実を発掘して表現している。最近、artnet NewsはカファーにMass MoCAとMoMA PS1で開催される展示についてのに関するディスカッションを持ちかけ、彼の控えめに始まったアーティスト活動や、歴史修正と共犯関係にあるモニュメントに対して何をすべきかについて語った。

Installation view of “Titus Kaphar: Shifting Skies” at Jack Shainman Gallery.

TT:まずはあなたのアーティストとしての成長過程について聞き始めようと思います。確か、あなたがアートをやり始めたのはかなり遅かったですよね。違いますか?

TK:そうです。二十代中盤、やりたい事は絶対にやろうと決めたときからですね。その前はロックスターになりたいと思ってました。(笑)今もちょっとなりたいかな。ベーシストだったんです。遡って話すと、俺は学校での素行が悪くて。ほとんどの授業を欠席したし、幼稚園は追い出されて、高校ではしょっちゅう停学になりました。少なくとも良い生徒ではなかったですね。短大に行ったのも、後に妻になる女性にカッコつけたかったからです。手短に話すと、その短大で受けた美術史の授業が俺の世界を開いてくれました。そこで俺は、今まで気づきもしなかったヴィジュアル・インテリジェンス(視覚的知性)を自分が持っていて、イメージを通して世界を理解できると教えてくれた。そして、自分でも何かを作れるってことも。
結果的に俺はどうしようもない生徒から成績上位者リストに載るまでになって、自分でもすげぇと思いましたね。そのことが俺をアートの探求の旅に導き、とても美術史的なアプローチをするきっかけになりました。手当たり次第に美術史の授業を受けましたよ。

TT:つまり、作品制作よりも研究者的立ち位置から始まったんですね。

TK:そのとおりです。短大の2年が終わり、カリフォルニア州サンノゼの国立大学に転入するまで制作の授業は受けませんでした。マジで美術史に集中してたんですね、なんせ俺に語りかけてくるものが多かったので。いわゆる“正典”にたくさんある明らかな欠落が、大きな声で訴えてきた。だから俺の活動は最初から、そういった欠落と本気で向き合うことから始まっているんです。絵画に対してはそんな伝統的アプローチから始めたけれど、インスパイアされた別の要素も詰め込むことにしました。ラウシェンバーグのモノを分解してガンガン構図の中に組み込んでしまう姿勢や、サム・ギリアムのキャンバスを使った大胆な探求と実験、そしてフォンタナの画面を切り裂き、キャンバスの穴に裏の意味を込める手法ですね。こういう具象的な絵画も大好きだけど、作品制作の歴史を断絶させるポストモダン的な作法も好きなんですよ。この2つの要素を同時にやるのが、最終的に俺が行き着いた現在の制作手法ですね。

Titus Kaphar, Language of the Forgotten (2018). Courtesy of the artist.

TK:それが現在進行系のプロジェクト、“モニュメンタル・インバージョンズ”(象徴的倒錯)にまで繋がってます。この彫刻シリーズは、アメリカ開拓者達の伝統的なモニュメントを参照しています。例えば今回のMass MoMAで展示されたLanguage of the Forgotten (2017) (忘れられた言葉) はトーマス・ジェファーソンの胸像の型が彫られていて、その前面に置かれたガラスに、サリー・ヘミングスがエッチングで描かれている。(彼女は黒人奴隷で、ジェファーソンの子供の母親だと言われている)
このシリーズは俺にとって、歴史抹消と共犯関係にあるアメリカ南部の彫刻にまつわる議論に、本気で関わるための作品です。そういった彫刻の展示を止める議論の殆どは納得できるけど、問題のある過去の証拠である彫刻の除去が、歴史修正として機能する場合もあるんです。

TT:“モニュメンタル・インバージョンズ”はその2つの論点を擦り合わせるため、人物の不在と存在を同時に提示しているように見えます。この作品をどんなアプローチで制作しているのか教えてもらえますか?

TK:えっと、実は俺、ついさっきシャーロッツビルから戻ってきたところなんですよ。ヴァージニア大学でいくつかトークをしたんだけど、そこで彼らはとても直接的にこの問題を扱っている。彼らがやりたくてそうしているのかはともかく。俺たちは2017年8月にそこで起きた恐ろしい事件を知っているから。みんなはまだ、そこから立ち直ろうとしている最中だと思います。

注:南部軍のリー将軍の銅像撤去に反対した集団が極右集会(ユナイト・ザ・ライト・ラリー)を開催、これに抗議する為に集まった人々が攻撃され、死者と負傷者が出た。そもそも銅像撤去は、人種差別者による無差別殺人が起き、流石にもう奴隷制度存続の為に戦っていた南部軍を称え続けるのは不適切だ、という空気になったのが理由なのだが、更なるヘイトクライムを招いてしまった

以前も公共の場でこの件について話したけれど、今回はもっと熱く、切迫性を持って話す必要がありました。世間はこれらの彫刻についてかなり極端な議論をしています。一方のグループは飾り続けろと言い、もう一方は撤去しろ、と言う。
極論で言うなら俺も撤去に賛成だけど、この問題は二極化すべきじゃないと思うんです。他の選択肢があっても良いでしょう?アーティストとしてこの問題に取り組むことを選ぶのなら、この難問に異なる回答法を提示できると思います。
俺が想像するのは、毎日通行する必要のある広場に立っている問題の彫刻と同じ場所に、コンテンポラリーアーティストが公共作品を設置するのはどうか、ってことです。この議論の争点は問題の彫刻を台座から下ろすことになっているけど、そいつを広場に残したままで、コンテンポラリーアーティストを同じ場所に連れてくるんです。提案を募り、コミュニティに貢献し、未来について語るような作品をアーティストに作らせれば、その空間は市民の対話の場になる。こういった難しい議論に参加できる場が、俺達にはとても重要です。もし本気で改善したいんだったらね。

Titus Kaphar, The Fight for Remembrance II (2014); and Yet Another Fight for Remembrance (2014). Courtesy of the artist.

TT:そのアイデアはあなたの芸術的実践の中にも反映されていますね。あなたがやっているたくさんのことは、彫刻であれ絵画であれ、この国の問題のある過去を振り返る際のバランスをとってくれる。ガラスを通してサリー・ヘミングスの物語を明らかにするために、ジェファーソンのイメージを否定するというか引き離す要素を加えている。

TK:そう、“モニュメンタル・インバージョンズ”にはマテリアルとアプローチ、2つに重要な意味があります。知ってのとおり、型は彫刻制作を完了させるためのものですよね。型は最終的なオブジェクトを得るために使われがちですけど、俺は型そのものに魅力を感じます。だって型は可能性というアイデアの代表格ですから。型はオブジェクト自体の不在であり、オブジェクトを作れるという可能性でもある。そして俺がこの重要な意味と意義を持つ肖像:建国の父を、型、つまり可能性として表現すれば、彼らが生きていた間に行った良いこと・悪いことの両方を認識させられる。
俺たちは自分達の建国の父を神格化も悪魔化もしちゃいけない。一部の特別な人間が歴史的に価値がある訳でもない。そしてこのシリーズの作品によって、建国の父達の物語の上に、俺達黒人全員の命が脅かされ続けてきた物語を乗せたいんです。俺達の物語はいつだって知られていたけど、絨毯の下に掃き隠され、歴史の表側で語られることはなかった。

Titus Kaphar, Monumental Inversion: George Washington (2016). Courtesy of the artist.

TT:話を変えて、イエール大学とプリンストン大学の不穏な歴史を扱った作品について語りましょう。
Enough About You (2016) という名前の絵画はイエール大学にある、同校の名前の由来であるエライヒュー・イエールの絵画にインスパイアされています。そこには奴隷の少年も描かれている。
もう一つは “モニュメンタル・インバージョンズ”のシリーズの1つであるImpressions of Liberty (2017)(自由の刻印)という彫刻で、プリンストン大学の学長だったサミュエル・フィニーの彫像の型がブロックに彫り込まれ、その前方に奴隷の家族がエッチングされたガラスが配置された作品です。(この奴隷の肖像は、1766年にフィニーが大学で売ったとされる6人から引用されている)
この2つの施設とどういう流れで仕事をしたのか話してもらえますか?これは共同事業だったのでしょうか?

TK:こういうリサーチは基本的に全て自分達でやってます。自分の仕事の一環として、スタジオで2人の調査アシスタントを雇ってるんです。俺の作品の多くは調査を通して制作されるので、とても重要なパートなんですよ。
なので俺たちは、おそらく作品にはならないであろう全ての要素を確認しています。それが俺の制作過程において重要なんです。でもプリンストン大学との作品は少し違っていて。なぜなら大学側ですでにリサーチがほとんど終わってたんですよ。
ですがそもそも、完全な自由が無いようなコミッションワークは好きじゃないですね。作品が当初と全く違う方向性に進みがちなので。それに絵画が俺に左に行けというなら、コミッションの内容が何であれ、俺は左に向かうんです。

TT:イエール大学とのケースは違ったんですか?

TK:ええ、違いました。Enough About You はコミッションワークじゃなかったので。当時はイエール大学と、コミッション内容や色んな人種問題について話し合いました。この作品が参照した絵画に描かれているのは、エライヒュー・イエールと書類にサインしている2人の白人男性、そして──側にいる若い黒人少年には手錠と首輪が付けられている。しかもこの絵画はイエール大学が所有しているものだったので、それを引用することはかなり攻めたことだったんです。

Titus Kaphar, Enough About You (2016). Courtesy of the artist.

TK:このオリジナルの絵画を最初に観たとき、俺はこの少年に対するリサーチをはじめました。この絵画に関するその他全てのディティールに関する情報は発見できたのに、彼については何も見つからなかった。何の歴史も残ってなかったんです。だから俺はこの青年の人生を想像する方法を考えたかった。この歴史的な絵画の構図の中には描かれなかった、彼の欲望、夢、家族、思想、希望について考える方法を。
こういった事は、オリジナルの絵を描いたアーティストが、鑑賞者に熟考してもらおうと主題に取り上げることがなかった要素です。この議論の枠組を定義し直すために、俺はずっと長いこと話してきた要素を物理的にクシャクシャにすることで黙らせて、少年の物語の音量を上げたんです。

TT:あなたのグループ展に話を移したいと思います。4月にMass MoMAで始まった“Suffering From Realness” (現実的ゆえの苦悩) と、3月31日からPS1で始まった、詩人のレジナルド・ドウェイン・ベッツとのコラボ展である“Redaction”(墨消し)ですが、この2つについて少し話して頂けますか?

TK:“The Redaction”プロジェクトは、裁判所に罰金や手数料を払えなかったせいで投獄された人々にかわって公民権運動団体がおこなった訴訟から直接引用しています。このプロジェクトでは男女問わず、彼らの肖像と実際の告訴状の文面を使っています。ベッツは告訴状を法的な戦略:墨消しによって詩の創作に利用している。つまり、ほとんどの文字を塗り潰すことで告訴状を詩に変えている。俺は法定紙幣のための伝統技法を使い、そのポエムの上に彼らの肖像のエッチングを刷りました。

Titus Kaphar, A Pillow For Fragile Fictions (2016). Courtesy of the artist.

TK:また、 “Suffering From Realness” 展には3つの彫刻、3つの大型絵画、そしてその他数点の作品を展示します。それぞれの作品が、多様な物語の問題を取り扱っている。その中でも特徴的なのは、少し前に制作した “A Pillow for Fragile Fictions” (2016) (脆弱な虚構の為の枕)です。
この作品はジョージ・ワシントンの胸像の型の中でガラスを吹くことで作られています。この歪んだワシントンの形をしたガラスは手吹きなので、長さ約2フィート、高さ3フィート程度の大きさです。
この作品は、友達が読んだジョージ・ワシントンと奴隷の関係について書かれた本がきっかけになりました。
その物語を要約すると、ワシントンは何度も逃げ出す一人の奴隷にうんざりしていた。だからワシントンは、彼をタマリンド、ラム酒、ライム、糖液といった幾つかの食料品と交換すると決めた、という話です。その食料品こそが、この歪んだ胸像のかたちをしたガラスの中に入っている物体の正体です。

Titus Kaphar, Shadows of Liberty (2016). Courtesy of the artist.

TK:それにこの展示のタイトルは、Jay-Zとカニエ・ウェストの ”Ni**as in Paris” から引用しているけれど、同時にエレイン・スカリーの文章を参照してます。 
“これは特に、信頼の崩壊している社会の中で徐々に目立ってくるものだが、、、人体という完全に実在する物質が、“現実性”や“確かさ”というアウラを文化的に構築するために借用されるのだ。”

TT:混乱期に、真実や“現実性”を示すために身体が使用される、ということですか?また、どうやってあなたの作品に身体を統合するんでしょうか?

TK:この一節は、確かに存在する黒人の身体が抹消され、無視され、絵画の構図に含まれて来なかった事実を俺に考えさせます。
その文章からインスピレーションを受け、デニースとの議論の中でも、彼らの実際の身体はまともに考慮されていなかった、という話をした。絵画の歴史において、大抵の場合立ち姿で描かれるこの少年たちの身体は、画面内の他の人物の経済的豊かさを示すものだったんです。(デニース・マルコニッシュはMass MoCAの展示のキュレーターである)
俺は黒人の身体について語ったけれど、トランスジェンダーの身体、女性の身体についても同様のことが他のアーティストによって語られています。この展示の本当に素晴らしい点はそこですね。デニースは、アーティストたちがこの問題に誠実な方法で取り組むことができ、なおかつ自分達の活動とのズレを感じない展示空間を作ってくれた。
彼女は、展示に参加するアーティストの創造性を邪魔しないようにキュレーションするんです。その考え方が彼女を偉大なキュレーターにしたんだと思います。

Titus Kaphar, Shadows of Liberty (2016). Courtesy of the artist.

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