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【意訳】ゾンビフォーマリズムが遺した毒:第1章「狂った経済が産んだ新しい“借金の美学”の世界」

※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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The Toxic Legacy of Zombie Formalism, Part 1: How an Unhinged Economy Spawned a New World of ‘Debt Aesthetics’

Chris Wiley,  July 26, 2018

Source: https://news.artnet.com/opinion/history-zombie-formalism-1318352このテキストの続き(英語):https://news.artnet.com/opinion/the-toxic-legacy-of-zombie-formalism-part-2-1318355

ゾンビフォーマリズムと現在の経済との共通点とはなんだろう?2017年7月5日、パフォーマンスアーティスト達はG20サミットへの抗議運動として、ドイツのハンブルグでゾンビの様な扮装を身にまとい、都市の中心部を彷徨い歩くパフォーマンスを行った。

ゾンビフォーマリズムとは何だったのか?アートワールドの流行を熱心に追っている者でもなければ分からないだろうが、心配ない。美学の観点から見れば見逃しているものはそこまで多くないからだ。
だが経済の観点から見ると、ゾンビフォーマリズムはおそらくこの10年間における最も大きな物語を紡いだと言える。アートマーケットは変動し、“若手アーティストになる”ということの意味を変えた。
この話にはアートの金融の関係性に関する話題が多く含まれているが、わたしは同時に、この借金を必要とする方向性が現代の美学に関する議論を余計にもつれさせていることに関しても指摘していきたい。

まずはじめに、ゾンビフォーマリズムの定義について話そう。この言葉は、アーティスト兼批評家として活動するウォルター・ロビンソンが2014年に執筆した “Flipping and the Rise of Zombie Formalism”(活発化し勃興するゾンビフォーマリズム)において生み出された。
この議論は、コレクターにとって投機対象とされている若手アーティスト達に共通する特定の絵画の形式に関するものだ。彼らは作品を低価格で入手すると、その後すぐにオークションに出品する。彼らが好むのは、オスカー・ムリーロルシアン・スミスジェイコブ・カセイといったアーティストの作品だ。彼らの作品は3,4年前にはどこででも見かけたものだ。
また、批評家のジェリー・サルツはこれらの作品の多くが似通っていることに呆れるエッセイを執筆し、広く読まれている。

ゾンビフォーマリズムは抽象絵画のブランドであり、ふたつの特徴の間を揺れ動いている。ひとつは汚れた養生シート(ドロップクロス)のような見た目の、適当かつ素早く描かれた絵画である。(ブルームバーグの記者は雑に“落書き”と評したが。)もうひとつは劣化したミニマリストのモノクローム・ペインティングやカラーフィールド・ペインティングのような作品で、例えば雨ざらしで放置されたバーネット・ニューマンの絵画のようなテイストの作品だ。
これらの絵画のほぼ全ては、魅力的かつ神秘的な制作手法によって生み出されている。ルシアン・スミスは消火器で絵を描き、ジェイコブ・カセイは鏡と同じ手法で絵画を電気めっきする。オスカー・ムリーロはスタジオの床のゴミを擦り付けて絵を描いている。

アーティストのセス・プライスは、議論を巻き起こした小説 “Fuck Seth Price”の中で、このタイプの作品を“ヌルい構図、中途半端でミニマルな外観に、なんかどうでもいいバックストーリーがたくさん盛り込まれている”と辛辣な口調でこき下ろした。だが彼らの作品は40万ドル(4382万円)以上で取引されている。

ルシアン・スミスの Two Sides of the Same Coin (2012)。サザビーズ・ロンドンで2014年2月に37.2万ドルで落札された。予想落札額6.6万〜9.9万ドルを大幅に上回る落札額であった。

このジャンルは彼らにとって 上品かつ教養のある  “手法重視の抽象絵画”(Process-based abstract painting)であった。現在もたまにそう呼ばれることはあるが、ロビンソンの付けた“ゾンビフォーマリズム”というあだ名は、それに備わった批評的な意味とセットになって完全に世間へ浸透してしまった。
ロビンソンは美学の見地から、ジャブの様に以下の言葉を繰り出している。
“クレメント・グリーンバーグによって売り込まれてきた20世紀中盤の絵画を現代に召喚し、世界中のアートフェアで展示している。”

だがゾンビフォーマリズムには感染力が高い現象という側面もある。このムーブメントはほんの数年の間に、新しく美術の修士号を取得した若者と彼らを押し上げようとする強欲なコレクターの間で驚くべき影響力と感染率をみせた。
2012年初頭、ゾンビフォーマリズムの作風は世間を熱狂させ、アートワールドの構造を変えてしまった。審美眼の持つ抑制力もここ10年は批評家、キュレーター、そして多くの財界人の間では機能せず、今もそれを持ち合わせているのは国際的なレベルのコレクターぐらいである。

Installation view of Oscar Murillo’s canvases at “The Forever Now: Contemporary Painting in an Atemporal World” in 2014. Photo courtesy of artnet News.

この方向転換によって十分すぎるほどの恨み節が世に溢れたが、中でも批評家のデイヴィッド・ギアーズによる影響力のあるエッセイ“Neo-Modern”には、ゾンビフォーマリズムに対する決定的な批判が書かれている。
ギアーズは “優美な財産としての今日のアート” と、ジャン・オノレ・フラゴナール、ナティエ、フランソワ・ブーシェらが描いた18世紀の浅薄なロココ調絵画を比較した上で、現在コレクターたちがかき集めている絵画が “単に宣伝的で、肯定的で、装飾的なだけの作品ばかりである” と嘆いている。
わたしは最近ギアーズからの追記をメールで受け取った。彼は現時点での意見として、その主張を以下のように説明した。

“分断された社会の階層。持つ者と持たざる者。悟りを開いた無関心な専門家たちと路上に集まる群衆。現代は18世紀における社会の分断をまた繰り返しているかのようです。同様にアーティストも未来を想像し切り拓くことなく、神秘的な過去を誇示することで、現在の支配的な権力者たちに媚びを売ることしかできていない。このように、現代は近代以前の状況を強く連想させる状態にあります。”

この視点から見ると、ゾンビフォーマリズムはつまるところ新種の宮廷絵画である。現代の階級社会における大金持ち達を喜ばせ、更に豊かにするためだけに描かれているのだ。批評家たちはマーケットの威光がアートを犬の様に従えはじめたことに脅威を感じている。

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富が美学へ影響を与えていることを批評家が嘆く時代など、これが初めてだろう。ジェフ・クーンズが世界中の億万長者に迎合していることを避難する記事の文字を一列に並べたとすれば、その長さは月までは届かないまでも、すくなくともアメリカからベルサイユ宮殿までの距離くらいの長さにはなるだろう。
だがそれでも、ゾンビフォーマリズムには特殊な点がある。空っぽの美学を増長させる現代の宮廷画家のような性質だけでなく、極めて最近制作された作品によって、新たなレベルの天文学的な富をアートマーケットへと密輸してきたことも重要である。

ヘッジファンド、金融派生商品の取引、規制緩和、汚職。 若いコレクターから流れてくる金は、これらの悪臭を放つ金融業界の沼から溢れ出てきたものだ。彼らは投機的な購入によって短期的に利益を得る傾向をマーケットに持ち込んだ―それがアート、ひいてはアーティスト達に二次被害をもたらす可能性を考慮しないままに。

この傾向が始まったのは2003年前後で、景気が比較的落ち着いていたアートマーケットが、うなりを上げて回復してきた時期である。
同時期にウォールストリートの企業が非常に儲かっていたことは偶然ではない。彼らの2003年における収益の合計はアメリカ全土の企業収益の40%にも達している―30年前はたった10%程度だったのだが。
当時はお金がとこにでも散らばっているように見えた。そして新しい金融商品、または古い金融商品を利用するための新しい方法論が求められた―それも早急に。

Jeff Koons’s Diamond (Blue) is displayed and photographed by onlookers in the plaza, October13, 2007, outside Christie’s in New York. Photo courtesy Don Emmert/AFP/Getty Images.

資本の洪水はギャラリー、オークションハウス、アーティストのスタジオへと流れ込んだ。それはもっぱらコンテンポラリーアート、それも若手の作品に的を絞ったものであった。
1980年代にもジェフ・クーンズ、ジャン=ミシェル・バスキア、ジュリアン・シュナーベルらがメガスターとなり、その作品は投機対象かつステータスの象徴となっていたが、このときの金の流れに比べれば、彼らは小さく見えてしまうほどだ。
当時、ギャラリーで展示される若手アーティストの作品はオープニング前に完売し、コレクター達はコロンビア大学などでMFAに取り組んでいる学生たちのスタジオに架かっている作品までも強奪していくかのように購入していった。

かくして投機的な作品購入は大流行した。オークションハウスの記録は当たり前のように更新され続けた ― アーティストやコレクターを含む誰もが、この動向に熱中していた。
そのころ金融業界は、債務担保証券、クレジット・デフォルト・スワップ、不動産担保証券などの様々な金融派生商品によって変わりはじめていた。これらは複雑過ぎて不透明であったが、非常に儲かるものであった。

このような環境にいる人々にとって、アートマーケットはとても魅力的に見えたに違いない。シャンデリア・ビッディングやオークションハウスの価格設定には全く規制がなく、脱税やコレクター間での資金洗浄も可能だ。その不透明性はまさに不可侵の聖域である。作品価格を公に提示しているギャラリーは、むしろビジネスに対する本気度が足りないとされるほどだ。更に、アート作品の潜在的な利益には限界が無いといえる。なぜならアートは客観的な価値評価に縛られない商品だからだ。

※シャンデリア・ビッディングとは架空入札のこと。オークショナーが入札が入ったかのように振る舞い、カマをかけて価格を釣り上げる行為。その時にオークショナーはシャンデリアを見るなどして視線をごまかすため、観衆は会場の誰が札を挙げたのかを眼で追えなくなる。(そもそも実際には誰も札など挙げていないのだが)

On the ground at Art Basel Miami Beach, 2010. Photo credit Juan Castro Olivera/AFP/Getty Images.

そのような状況から、アートが2000年代中盤に金融化の旋風に飲み込まれたのは当然の出来事であった。だが、皆が真に驚かされたのはその数年後の出来事だ。2008年のリーマンショックによる暴落の際、アートマーケットは急速な回復を遂げたのだ。フィナンシャル・タイムズはそれを“重力に逆らっているようだ”と評した
当時は投資家が伝統的な市場への信頼を失うのに比例して、アートの様な代わりの資産の魅力が増していたのだ。一方で野心的なアーティスト達は、アートの道が生存可能なキャリアのひとつであると考えるようになった。

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こうして、アートシーンにアートフリッパー(投機目的で作品を購入する人)というキャラクターが生まれた。これまでのコレクター達はアーティストの長期的なキャリア構築を考えて投資をおこなっていたが、アートフリッパー達は短期的な利益をより重視していた。これは、ウォールストリートで働くトレーダー達の使う暴利を貪るための戦略をアートに応用したものである。
このような納税者、住宅ローンを持つ者、退職しようと思っている者たちをあざ笑う戦略だけでなく、アートフリッパー達は更なるアドバンテージを得ていた。株式詐欺に用いられる風説の流布はウォールストリートにおいて昔から違法とされていたが、アートマーケットではやりたい放題だったのだ。

投資家が大量の安い株を買い、他の買い手にも積極的に薦めることで株価を意図的に引き上げる。 1980年代を生きた人には(もしくはマーティン・スコセッシのウルフ・オブ・ウォールストリートを観たことのある人なら)この詐欺の手口を知っているはずだ。
その投資家は市場が飽和状態に達したとみなすと、一気に株を売り逃げして綺麗な利益を得る。だがその傾いた船に取り残された他の騙された投資家達は破産してしまう。

この手口と同じように、何人かのアートフリッパー達は特定のアーティストの作品を大量に購入することで知られていた。彼らは作家の評価を高めるために、様々な方面から影響を与えようとする。Instagramの人気アカウントを利用したり、友人やコレクターといった人脈にアドバイスをしたり ― だがそれも全て、作品価格が高騰した後にオークションで売り逃げするためにやっているのだ。
株式詐欺とは異なり、アートマーケットにおいてそのような行為は規制されない。だがそれでも、この手の投機詐欺師たちは売り手とアーティストにとって    Win-Winな状況を作り出すこともある。潮が満ちれば全ての船が上がるのと同じ原理だ。だが、そんなやり方が常に上手くいくはずがない。

Hugh Scott-Douglas, Untitled (2013). Image courtesy of Phillips.

去年(2017年)、ブルームバーグは ディーラーでありコレクターでもあるニールス・カンターに関する最高の記事を掲載した。それは、彼がヒュー・スコット・ダグラスによるゾンビフォーマリズム的な絵画を必死に売り払おうとしている、という話だ。
カンターはすぐに転売することで短期的な利益を得ようと、その作品を2年前に10万ドルで購入した。だが彼は最終的に、オークションでその作品を購入金額の4分の1の価格で売却する羽目になった。

“僕らは少し酔っ払っていたような状態で、その結果について深く考えていなかったんです。でも底が突然抜け落ちて、みんな虚を突かれてしまいました。”とカンターはこの記事で認めている。

リスキーな投資によって損をした裕福な投資家の話を聞いても、可哀相だとは思えない。かれらの大半はカンターのようなミスを犯したとしても、年間の作品購入予算が数%少なくなるだけで済む。だが投機目的の買い漁りが引き起こす痛ましいほどの価格下落は、アーティストにとっては作品を売ることができなくなることを意味する。それと同時に作家としてのキャリアも終わってしまう。

投機的購入の渦に巻き込まれたアーティストの中には、その波を乗りこなしてそれなりに経済的な利益を得た者も何人かはいるが、作品に支払われた巨額の金の大半は彼らの周りを流れていっただけに過ぎない。クリエイターはまるで川の中の石のように、その流れに置き去りにされた。
結局のところ、アーティストはセカンダリーマーケットで作品が売れても全く利益を得ていない。その利益はオークションハウスと売り手に渡ったのだ。マーケットから投げ捨てられたアーティストも、都市の生活費が法外に膨れ上がっているこの世界で生きていくしかない。以前はアーティストにちょっとした安定と余裕をもたらしてくれた教職も、もっぱら給料の少ない非常勤のポジションだけになりつつある。

更に重大な問題は、アートワールドが(多くは学生ローンというかたちで)法外な借金の支払いでアーティスト達を苦しませていることだ。ほんの短期間だけ他人を儲けさせるためにその学費を払っているのだとしたら、それはあまりにも高額ではないか。

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投資経済の別側面として、負債を負った人々がその返済のため、より不安定な職に就くことを余儀なくされている状況がある。ある経済学者は彼らをプレカリアートと呼んだ。(プレカリオス(不安定な)+プロレタリアート(労働者階級)=プレカリアート)
彼らは労働者としてもお金を稼ぐ手段としても役に立つ。なぜなら彼らはお金を稼ぐためなら何だってやるし、彼らの返済義務は新たな金融商品になるからだ。

French demonstrators hold a banner reading “For the equality of rights, against a generalized precariat” during a demonstration on May 8, 2017. Photo courtesy Lionel Bonaventure/AFP/Getty Images.

アーティストもプレカリアートの一部を担っている。マーケットにおける彼らの儚く不安定な仕事ぶりはまさにその典型である。
アーティストは投機対象になりうる作品を生み出すが、彼らの学歴もまた、自分自身に対する投資の履歴であると言える。多くのアーティストは高額な芸術学修士(MFA)を取得するために莫大な借金を負うことになるが、それは教職を得たりアーティストとして売れるために必要だとされているからである。
借金、主に学生ローンはアートワールドのシステムを構築する重要な役割を担っているのだ。

アメリカ全国教育統計センターによると、視覚芸術やパフォーマンスの分野でMFAを取得する生徒の数は,2000年から2014年にかけて50%も増加している。同時期に全国の大学の授業料は急上昇し、私立大学の平均授業料はおよそ50%ほど上昇した。家賃と食費も考慮すると、ここ6年間にMFAのプラグラムを受講して卒業した学生は、2年間の授業の期間中におよそ10万ドルを支払う事になる。

しかし、支払うべきは法外なMFAのコストだけではない。その金額は学士号に上乗せされているのだ。当たり前だが、最終的なコストは更に高くなる。2013年にウォールストリートジャーナルは、全ての学士号の中でもアート系の大学を卒業した学生が最も多額の借金を学生ローンとしておこなったと発表した。なお、全体での学生ローンの平均額は21,000ドルである(だが、ここにはその法外なパーセンテージの利子は含まれていない。)

全ての人々はともかく、裕福な家庭の学生ならばこの道を歩もうと思うかもしれない。MFAを取っても良い収入を得られる可能性が低いことを考えれば尚更だ。ネット上の給料・賠償金情報会社 Payscaleは、MFAを獲得した者の生涯収入予想において、アート系を189種中182位にランク付けした。この報道はアートの高額なトレーニング費用を分析する数多くの記事を生み出したが、それらの報道でもこの事実は揺るがなかった。

英語の例文:
artnet News:“MFAの取得はその費用に見合った行為か?”
New York:“過度に高額なMFAこそが問題の根源である”
The Atlantic:“より一般的に、かつより金銭的に間違った選択になりつつあるMFA”

中でも最も歯に衣着せぬ議論を展開しているのは、アーティスト/理論家/教育者のココ・フスコだ。ここ数年、彼女は美大のシステムに対する告発を Modern PaintersBrooklyn Railなどで発表している。また、彼女は“債務者アーティスト”の異名を持つノア・フィッシャーと共同で、クーパー・ユニオン開催する丸1日をかけて行なう協議会を運営している。
フスコは2000年代中盤のアートブームの頃にコロンビア大学でMFAのプログラムを教えていた。その頃のプログラムは、未来のマーケットのスターを生み出す孵化器としての名声を得ていた。彼女は電話を通して、美大生は過度に加熱したマーケットが生み出す楽観主義によって興奮し、MFAが富と名声を得るためのチケットであると信じ込まされていること、そして多くの美大はその誤解を解こうとしないことを説明した。

フスコもコロンビア大学の一員だったが、その印象をこう説明した。“高額な授業料が必要な有名大学に通い、借金することが正当化されているのは、それがマーケットに参入するための必要経費と考えているからでしょう。私たちの仕事は教えることではありませんでした。学生をマーケットに参入させることが仕事だったのです。”
名高いコロンビア大学であったとしても、これは馬鹿げだビジネスプランである。フスコは言う。“現在、MFAのプログラムは多すぎます。MFAを取得した学生も余りにも多く、マーケットは彼ら全員を受け入れることはできません。”

Students pull a mock “ball and chain” representing the $1.4 trilling outstanding student debt outside the second US presidential debate in 2016. Image courtesy Paul J. Richards/AFP/Getty Images.

全員の夢が叶う訳ではない、、、これは学生にとって不都合な真実である。この真実の重みは失望だけでなく、借金としてものしかかって来る。フスコはこう結論付けている。“よって、その選択は作品制作能力の向上に時間とお金を投資することの邪魔になっているのです。またそれは同時にマーケットを気にして、全てを売るためだけに制作するマーケット主導の道を選択することを意味します。”

ゾンビフォーマリズムを生み出した要因の半分が純粋な投機目的ならば、これはそのもう半分の要因だ。フスコが解説するように、この状況は止めようもなくアートとその評判全てを染め上げてしまい、更にはアーティストの制作する作品や目標のあり方にも影響を与えている。
これは、アートの持つ自由奔放で反体制的な要素が、MFAが仕様となった新しいアカデミズムに取って変わられてしまった、などと使い古された文句で終わる話ではない。プロフェッショナルとしてのアーティスト像が、債務者としてのアーティスト像に置き換えられてしまったのだ。

借金の契約をしたからには、将来に渡って一定の、安定した収入が必要となる。この現実により、アート作品も一定の安定した作品を連続して制作することが好まれるようになったのである。

このように、ゾンビフォーマリズムが形成された過程は21世紀以降の20年間の時代の空気感を知ることで理解できるようになったことだろう。
それは自己投資としての借金と利益目的の作品購入、2つの投機の影響が生み出した結果だったのである。
そしてこのパワーバランスによって現在は、わざとらしい派手な作品にしろ丁寧な職人気質の作品しろ、“とにかく過剰で何でもあり”という特徴が見られるようになった。

投機的なマーケットのあり方を承認することによって借金することが当たり前となってしまったことから、我々はゾンビフォーマリズムがもたらした広範囲かつ根深い症状をこう呼ぶことができるかも知れない、、、“借金の美学”(debt aesthetics)と。

この診断が何を意味するのか、また新たな雇用形態はアーティストにどんな意味を持つのか、といった内容は、第2章で取り上げることにする。

Chris Wiley is an artist and art critic living in New York.

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