見出し画像

【意訳】ハンス・ハーケ:体制の逆鱗に触れろ - Kunstkritikk

クリップソース: Touching Institutional Nerves - Kunstkritikk
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。

TouchingInstitutional Nerves

自分の作品に社会性と政治性を組み込まないのなら、自己検閲をしていることになる。NYを拠点とするドイツ生まれのアーティスト:ハンス・ハーケは Kunstkritikk(ノルウェーの、美術批評という意味の名前のメディア)にそう語った。

Hans Haacke, Hippokratie (Side View), unrealised suggestion for Skulptur Projekte in Münster 1987. © Hans Haacke-VG.

アーティストのハンス・ハーケは、“周辺環境の支えがなくては機能しないものをつくるべきだ” と1965年のステイトメントに書いた。
つまり彼は、アートは自然法則のシステム、あるいは異なる物質や生物同士の相互関係として鑑賞されるべきだと考えていた。その作品には、温度や鑑賞者の動きといった環境的要素との相互作用を念頭に置いた素材と構成が選択されていた。

その僅か数年後、60年代後半の政治的大変動を背景に、ハーケ作品は素材の特性の範疇を超えて、より広範囲な社会的・政治的文脈を扱う探究を始める。このアートに対する社会的観点の拡張は institutional critique:制度批評 と呼ばれ、ハーケ作品を象徴する要素となっている。彼の1965年のステイトメントの記述は今でも有効に思える:アートワールドの関係者と組織の周辺に存在し、影響を与えている構造、いわゆる環境について探究・可視化しようとする持続的な試みは、ほとんど存在しない。

フランスの社会学者、ピエール・ブルデューは、ハーケは“アートワールドに影響を及ぼしている特定の支配形式を見つける素晴らしい『眼』を持っている”、とハーケの本:Free Exchange (1995) 収録の対話の中で語っている。だが、約60年間に渡るハーケの作品群を、美術制度批判だと要約してしまうことはできない。我々とアートとの相互関係を、透明性を持って描き出そうという彼の試みには、固い意志が感じられるからだ。

ヘニーオンスタッド美術館で開催された展示、“Search of Matisse:マティスの調査”には、2つのハーケ作品が含まれている。“ Manet-PROJEKT ‘74:マネ・プロジェクト1974年” とジョルジュ・スーラの “Les Poseuses(Small Version)1888-1975:ポーズする女たち(縮小版)” である。
Kunstsenterで10/29に開催されたセミナー、“Looters, Smugglers and Collectors: Provenance Research and the Market:略奪者、密輸業者、蒐集家:出所と市場の調査”にも、彼は当然ながらゲスト出演した。芸術作品の由来に対する調査 (所有権の変遷履歴など )は、この展示とセミナーの両方における出発点だった。
ハーケの2つの作品はその見本である。美術団体と外部の利権との社会的・金銭的繋がりを可視化するために利用された作品、特に問題のあるやり方で獲得された作品に焦点を絞って取り上げているのだ。

40年ほど前、ハーケがヴァルラフ・リヒャルツ美術館のマネジメントに作品案をプレゼンしたとき、彼らはManet-PROJEKT ’74の展示を拒否している。排除されたハーケ作品はこれだけではない。ハーケは寛大にも、上記の2つの仕事の合間にKunstkritikkのための時間を設けてくれた。以下のインタビューで彼は、現実に関する作品、公共空間におけるアートの役割、アートと市場の関係性、そして神経を逆撫でする行為について語っている。

Hans Haacke in Oslo, November 2015. Photo: Mariann Enge.

スティアン・ガブリエルセン:
ヘニーオンスタッド美術館で展示している作品の話から始めさせてください。あなたがこの2つの作品に使用している手法は、今回の展示に関連するリサーチ・プロジェクトの青写真のように思えたのが印象的でした。
70年代の作品がそうであったように、あなたはアーティストとして体制側を動揺させて続けていますが、美術施設がこういった批評様式を受け入れた事実は、なにを意味しているのでしょうか?

ハンス・ハーケ:
これはかなり特別な事例です。他の施設が同様に作品の背景を暴くことができるとは思えません──作品所有権の移転に関する周辺状況の解説、つまりは来歴という意味でも、絵画の裏面を見せるという文字通りの意味でも。

スティアン:
美術施設が、所蔵品の来歴に透明性を持たせようと思った要因は何だと思いますか?あなたが暗に批判してきたような体制に、いま何かが起きていると思いますか?

Hans Haacke, Seurat’s “Les Poseuses” (Small Version) 1888-1975, På sporet av Matisse, Henie Onstad Kunstsenter. Photo: Øystein Thorvaldsen/HOK.

ハーケ:
いいえ、こういった事例が拡がっていくことは期待していません。ヘニーオンスタッド美術館にとってきっかけとなったのはマティスの物語でしょう。美術館が少し後ろめたい方法で作品の所有者になり、その歴史の全容を知られないようにしている、という同様の話は溢れるほど存在しています。
1974年、ケルンにあるヴァルラフ・リヒャルツ美術館の150周年を祝う展示に私が招待されたときの出来事が、まさにその一例です。
私はマネの“一束のアスパラガス”の所有者の来歴と、どういった状況下で所有者が移り変わったのかについて焦点を当てた作品を制作しました。この静物画は、美術館の理事長であったヘルマン・ヨーゼフ・アブスの指揮の元、85のドイツ企業の献金によって美術館に寄付されています。
その当時のアブスは、おそらく西ドイツで最も力を持った銀行家でした。彼とナチス党との深い関与を私が提示することは美術館にとって恥であり、気にかけている人々との関係性を悪化させる可能性があったのです。なので、以前の6人の所有者がユダヤ人であったこの “一束のアスパラガス” は、たまたまスイスへと“遊出”することになりました。

※マネとフランスのユダヤ系批評家:シャルル・エフルシとの逸話で有名な絵画、“一束のアスパラガス” だが、本作はナチスのユダヤ人迫害の際に略奪され、ナチスの重役の手へと不当に渡っていたようである。

ハーケの作品:Manet-PROJEKT '74の当初の構想は、歴代の作品所有者について解説するパネルが実物の作品を取り囲むものだったが、前述の様に展示は拒否された。参加者のひとりであったダニエル・ビュランが、このハーケ作品を自分の作品の一部だと主張して強行展示しようとしたが、これも阻止されている。
最終的にこのハーケ作品は、マネ作品のコピーを使い、市内のギャラリーで再現展示された。

スティアン:
あなたの作品来歴を調査する作品が過去に受けたような反応は、もう過去のものになったのではないのでしょうか?

ハーケ:
もしそうだとしたら驚きです。私がつくるような作品は今も、当時ケルンで受けたのと同じような反応が返ってくると思いますよ。

Hans Haacke, Photo-Electric Viewer-Controlled Coordinate System, 1968.

スティアン:
あなたは60年代に “Condensation Cube (1963-65)” や “Photo-Electric Viewer-Controlled Coordinate System (1968)” といったタイプの作品を制作していましたが、そこから70年代前半になって明確に社会問題と関連した作風へとシフトしています。その動機について興味があります。

ハーケ:
60年代の終盤、私の世代は極めて政治的になりました。ベトナム戦争は全ての家庭、特に徴兵対象年齢がいる世帯に影響を与えたのです。
人種対立が激しい時期でもありました。マーティン・ルーサー・キング・Jr.も暗殺されています。こういった事件と同時期に、パリは五月革命で揺れ、ヨーロッパ、およびアメリカの一部では大学が爆破されています。
政治意識への目覚めがNYのアーティストの間でも置き、それがArt Workers Coalition(芸術労働者連合)といったアーティストの活動家団体の結成を各所で促しました。
我々は、ニクソン政権とベトナム戦争に関与している理事がいる美術館に対するデモを組織しました。展示と所蔵品に有色人種のアーティストを加えること、女性アーティストの作品をもっと取り上げることを要求し、アーティストの権利を認めるように呼びかけました。

スティアン:
そして、その政治意識の芽生えが、あなたの作品制作のアプローチに変化をもたらしたんですね?

ハーケ:
私が制作していた作品の多くは、ルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィの 一般システム理論 という言葉で解釈できると考えていました。:凝縮プロセスはオープンな自然法則体系の一例ですが、植物や動物を扱い、物質的・生物的要素の相互関係と相互作用で成立している私の作品も同様です。
より政治へ関与する様になったことで、私はそこに社会システムと複雑な相互作用がごく当たり前に存在し、多くの場合は矛盾をはらんでいると知ったのです。
また、自分の作品に社会と政治を関与させないために、多くの自己検閲を行なっていたと気付きました。

スティアン:
ヴィト・アコンチやダン・グラハムといった70年代NYのコンセプチュアル・アートのシーンにいたアーティスト達を見ると、彼らの作品はより建築的になっています。その転換は、鑑賞者との相互作用や観衆という存在に対する関心から来ていると思われ、それはあなたの初期作品を連想させます。
あなたが作品制作の原則として建築を使うようになったきっかけは、一体何なのでしょうか?

Hans Haacke’s Und ihr habt doch gesiegt,1988 in Graz, Austria, was burnt down by a neo-Nazi.

ハーケ:
私のいくつかの作品において、観衆は関与・相互関係を求められますが、あなたが指摘したような建築的状況設定と言えるものではありません。
わたしは既存建築の古びた趣や都市空間を、一時的・常設的インスタレーションの素材として利用してきました。 その鑑賞者/利用者の多くはアート・ワールドとは関係がなく、社会的関係性を繋げるために招待された人々です。
パブリック・アリーナと呼んでいるこういった作品は、生産的な公開討論のきっかけとなり、ときに議論は全国規模に広がりました。いくつかは検閲されてもいます:そのうちのひとつは、オーストリアでネオナチによって焼き捨てられました。

スティアン:
あなたの活動は50年以上に及びますが、今も批評的同時代性があるように思えます。その年月の中で、特筆すべき美術史的瞬間はありましたか?

Hans Haacke, Taking Stock Unfinished. Photo: Zindman Freemont.

ハーケ:
60年代後期と70年代前半は重要な時期でした。また、90年代前半はアメリカにおける転換期です。アーティスト達は、今まで誰も考えてこなかった、あるいは関わる勇気がなかったことに取り組んでいました。

スティアン:
その2つの時期に類似点はありますか?

ハーケ:
60年代後期から70年代前半は、若手アーティストのためのアートマーケットがあまり存在しませんでした。同じことは、1987年のウォールストリートの崩壊が1990年代初頭に打撃を与えた時期にも言えます。
その数年間はギャラリーも若手アーティストも、何を作ろうがどうしようもなかった。なぜならコレクターは有望な投資先など探していなかったのです。ですが、そういった状況だからこそ、アーティストは今まで誰もやったことのない作品を制作する勇気を改めて持てました。
それが沢山売れはしないと知っていながらも、ギャラリーは “よし、これを展示しよう。”と言っていたのです。

スティアン:
あなたはアートフェアで展示をしたことがなく、それはアートのシステムの過剰に商業的な側面に対する批判的姿勢の表明だと理解していますが、あなたがアーティストとして用いてきたフォーマットは、市場性という観点において何か変化がありましたか?

ハーケ:
私のサイト・スペシフィシティ(場所の特有性)に対する感性は、マーケットに対する特有性とは関係ありません。

Hans Haacke, Oelgemaelde, Hommage à Marcel Broodthaers, Documenta 1982. Photo: Udo Reuschling.

スティアン:
あなたは画家として訓練を積みましたが、あるタイミングでそのメディウムを放棄しています。その理由として、あなたは推し進めたいと思えないテーマに束縛されてしまうと思ったのではないか、と推測しているのですが。
現在のアートワールドの絵画に対する扱いについて、何か思うことはありますか?

ハーケ:
基本的に、私は絵画に対する反抗心はありません。あなたも知っていると思いますが、私は80年代にレーガン、マーガレット・サッチャー、工業地帯の風景画などを描いています。今後も何かに取り組む際に、絵画が最適なメディウムだと考えて採用する可能性はかなり高いでしょう。私にとって絵画というメディウムは、それ自体に意味が宿っているものなのです。

スティアン:
あなたの75歳の誕生日に出版された本の序文で、あなたは “現実のアーティスト” と描写されていますが、しっくりくる説明でしょうか?

ハーケ:
我々が実生活を送る世界を無視した自己陶酔的なアートではなく、私は現実世界を扱っているのだ、と思いたいですね。そしてこの現実は、柔らかい表現で言うならば、全てが等しく美しい訳ではない。

サティアン:

あなたの作品は、美化するアプローチと情報的価値の間で矛盾しており、その作品には美的価値がほとんど無いと思うのですが、どうでしょうか?

ハーケ:
君のその言い方は少し気になりますね、、、美しさが欠如していると言いたいのですか?

Hans Haacke, Germania, 1993. German Pavilion, Venice Biennale (Entrance). Photo: Roman Mensing. ® Hans Haacke / Artists Rights Society.

スティアン:
言い方が悪かったです。私が言いたかったのは、あなたの作品はわかりやすさの度合いを押し引きしている、ということです。
例として、あなたの1993年ヴェニスでのインスタレーション:Germania と、NYの不動産開発業者による不正行為を率直に提示した“Shapolsky et al. Manhattan Real Estate Holdings, A Real Time Social System, as of May 1, 1971” を比較すると、前者はより不透明な表現で想像と解釈を促しているのに対し、後者は特定の情報へのアクセスを提供しようとしています。

ハーケ:
その視点から考えると、ヘニーオンスタッド美術館で展示された、絵画の由来を巡る2つの作品で私が採用しているアプローチは、おそらく “Shapolsky et al. ”の方に近いでしょう。ですが、“現実世界”と繋がっており、誤った前提に挑戦しているという要素に関しては同じだと考えています。
詳細な情報を提供するのではなく、社会的・政治的表現と関連しているシンボル、メタファー、アイコンといった表象を衝突させているのです。

スティアン:
あなたが鑑賞者に提示している情報の読み取りやすさ、分かりやすさに関して、アートの文脈はどのように影響していると思われますか?

ハーケ:
全ての作品がそうではないとしても、私は作品を最初に展示した場所の物質的な空間構成と、制作当時の社会的環境(特定の団体、都市、国)という2つの文脈に合わせて制作しています。
作品は最初にそういった文脈と共鳴しますが、後に別のどこかで展示されたり、同じ場所で再展示される際には、以前と異なる反応が返ってきます。大抵の場合、最初に展示したときのように痛いところを突けなくなるのです。ですがその作品が、予期せぬ理由で新たな議論を巻き起こすこともあります。過去の思想や出来事、それら全てが突然、生々しく新しい反応を引き出すのです。
強調しておきたいのは、全てのアート作品の反応は時間を経ることで変わる、という点です。当初は困惑と非難を巻き起こしたものが、僅か数十年後には彼らの規範の中に含まれていることもある。もちろんこれはアート作品に限ったことではなく、一般的な社会的現象です。

Hans Haacke, Shapolsky et al. Manhattan Real-Estate Holdings, A Real-Time Social System, as of May 1, 1971 (Excerpt), 1971. Photo: Fred Scruton. © Hans Haacke-VG Bild Kunst.

ハーケ:
例を挙げて説明しましょう。70年代初頭、カール・アンドレがTateで作品を展示したとき、彼は怒りを買う様なアーティストではないのに、とんでもない騒動になりました。──この発言によって、カール・アンドレを暗に批評しているのではありませんよ。
カール・アンドレがTateのために作品を制作していたとき、彼は芸術労働者連合の熱心な参加者だったのです。(彼は現在も強い政治的意見を持っています。)今では誰もが彼の作品を喜んで展示し、多くの人々がそれを観に来ていますが。

他で言えば、ダダイスト達は今でも論争を引き起こすでしょうか?もちろんそうではない。個人美術館のNY・ノイエ・ギャラリーは20世紀初頭のオーストリアやドイツの作品を頻繁に展示していますが、それらは制作された当時、とても議論を呼ぶものでした。
オットー・ディックスの恐ろしい版画がその例です。ノイエ・ギャラリーのオーナーであり、ロナルド・レーガン政権下でオーストリアのアメリカ大使だったロナルド・ラウダーは、2006年にクリムト作品を1.35億ドルで購入しました。鑑賞者はラウダーのギャラリーの壁に架けられる作品を愛しています。
このことは、レンブラントの“夜警”に込められている、17世紀半ばのアルステムダムの人々にとっての意味を知れば、より興味深いものになるでしょう。

Hans Haacke, Shapolsky et al. Manhattan Real-Estate Holdings, A Real-Time Social System, as of May 1, 1971, (Excerpt), 1971. ® Hans Haacke-VG Bild Kunst.

スティアン:
今年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、あなたが70年代から行っている世論調査作品が含まれています。それに加えて新作は、ビエンナーレ特有の要素が含まれています。その調査用紙は、人々の社会文化的背景、政治的態度に関する情報などを集めるように設計されていますね。自分の鑑賞者について何か知ることができましたか?

ハーケ:
これらの世論調査は多くの場合、私の鑑賞者だけでなく、一般的なコンテンポラリー・アートの展示を観に来た人の回答も含まれます。例えばヴェネツィア・ビエンナーレでは、調査に参加した人は私の “Anthology of Polls” の部屋だけを観に来たのではありません。興味をそそられ、反応することを選んだ一部の人達なのです。
その20の質問の中に、私の作品に言及したものはありません。約10個は人口統計的なもの、例えば鑑賞者の教育レベル、年齢、宗教的所属、ジェンダー、そして収入レベルです。その他の質問は、現在のアートワールドの文脈でも、世間においても広く議論されている問題に関するものです。

まず、私は鑑賞者について色々と学べましたが、それと同様に重要なのは、来訪者が世論調査に参加している間もその結果が公開され、公共の自画像として機能していることです。来訪者は自分がどういった社会的グループに属しているのか、他のグループとどう違うのか、そこに関与することでどんな影響があるのかを学べるのです。
アートという “神聖な場” も、我々の身分を剥ぎ取ることはできません。

スティアン:
こういった情報は、アーティストとしての思考プロセスに反映され、あなたが制作している文脈に非常に敏感な作品にも影響を与えているのでしょうか?

ハーケ:

私は自分の世論調査作品を、マーケティングや起業家が行うような鑑賞者調査として考えていません。

Hans Haacke, World Poll (Question No. 8, as of May 9, 2015), Venice Biennale 2015. © Hans Haacke-VG Bild Kunst.

スティアン:
非難するつもりで言ったのではないですよ(両者笑)あなたが自分の作品を見るからに政治的にすることを好まないと知ってはいますが、それでも“現実世界”における特定の問題に対する気付きをもたらそうとしていることは認めて頂けるでしょう。
鑑賞者に関するこういった情報は、作品を構想する過程にどの程度フィードバックされているのでしょうか?

ハーケ:
意識的にはやっていません。我々は誰かと話をするとき、相手は話す内容を理解できるだろうか、どの様に反応するだろうか、と何らかの想定をします。それと同様の暗黙の想定が、私がなにかを進める際に自然と影響を及ぼしています。

スティアン:
人口統計学的認識という概念は、おそらくあなたの公共空間に設置する作品により関係していると思います。なぜならそこでも同様に、予期せぬ観衆:コンテンポラリー・アートの作法にあまり馴染みがない人達と出会うからです。
公共空間のための作品では、美術施設向けの作品とは違うことを考えるのですか?

ハーケ:
特に気にしていませんが、先程も言ったように、私は普段から作品と出会う人々の文脈を考慮しています。
“パブリック・アリーナ” では、メディアが作品の延長として機能し、他では得られないような刺激や相互作用を与えることがあるのです。もちろん、メディアからの反応はそれ自体のイデオロギー的傾向にも影響を受けます。

スティアン:

教育レベルについて語りましたが、あなたのグループ表からは、政治的態度についても同様に読み取れるのでしょうか?

ハーケ:
ヴェニスでは本当に驚かされました。私がいたのは、作品設置時とアートワールド関連の優先鑑賞者が来る開催週だけだったのですが、その後には、学校の授業も含む、より一般の大衆がやってきました。私を驚かせたのは、世論調査の政治的意見における回答のパーセンテージが、6ヶ月経ってもほとんど変わらなかったことです。

スティアン:
詳しく聞かせてもらえますか?

ハーケ:
私の質問のひとつを大まかに言うとこうです:“世界における富の不平等な分配は、破壊的で、修正されるべきだと思いますか?それとも、無制限な富の集中は人間の権利なのでしょうか?”
自由という概念は大きな問題です、特にアメリカにおける不平等について議論する際には。しかし、アートワールドは比較的裕福な人々と繋がりが深いのに、回答者の圧倒的大多数は初めからはっきりと富の再分配を望んでいました。
以前の世論調査作品から、アートワールドの裕福な人々の多くがリベラル寄りだと知ってはいましたが、オークションの作品落札価格や、アートマーケットがアーティストの創作物に与えている影響を考えると、いつも不思議だなと感じるのです。。。

Hans Haacke, World Poll, Venice Biennale 2015. © Hans Haacke-VG Bild Kunst.

スティアン:
公共空間に設置される作品の問題に話を戻させてください。あなたはロンドンで、トラファルガー広場のいわゆる4つの台座に、Gift Horseという作品を設置しています。この馬の骨の彫刻には、ロンドン株式市場の株価がライブ中継で表示されているリボンによって装飾されています。
あなたは自分の制作意図の言及を控えています。それはアーティストとして当然のことではあるのですが。
それと同時に、あなたは長年のあいだ、文章によって自分の考えを言葉にしており、それはあなたの作品の受け取られ方、解釈のされ方に間違いなく影響を与えています。
政治的言論の発信者と作品制作者、この2つの間に矛盾はないのでしょうか?

ハーケ:
ジャーナリストなどの人々から頻繁に、Gift Horse の意味について訊ねられますよ。私はいつもこう言います、“自分で見つけてください。こう考えるべきだ、と言いたくないのです。”
私は、こう考えるべきだ、、、とか、こう考えたほうが、、、と言ったことはありません(笑)わたしは通常、作品が最初に展示された時点ではその背後にある情報を伝えません。作品の背景情報を伝えるのは、それが異なる文脈において展示され、元々の観衆が知っていた、その展示場所特有の意味を鑑賞者が理解できない場合です。トラファルガー広場いる人々のほとんどは、私が過去にやってきた不遜な行為など読み解きません。それはまた、一般的にはアート鑑賞者ではないジャーナリスト達にも言えるのです。

※Gift Horse(贈り物の馬)は、もらった馬の口を覗くな(贈り物を品定めすると相手を不快にさせるのでやめよう)という海外のことわざの引用であり、トラファルガー広場に飾られているジョージ4世の騎馬像の馬を引用して骨だけにしたもの。その右足のリボンに株価が表示されていることから、アダム・スミスの“見えざる手”も連想させる。この彫刻は、公園や美術館といった善意で与えられた様に感じられるものにも、その裏には見えざる経済的背景が隠されていることを示唆している。ハーケは、馬の口を覗くだけに留まらず、骨まで可視化してしまうほどの大胆不敵さで公的権威を監視し、透明性を求めなければならない、という政治的メッセージをこの彫刻に込めていると解釈できる

スティアン:
70年代前半から現在にかけて、あなたの作品が社会科学から影響を受けているのは明らかです。世論調査作品の場合、あなたはその方法論を使って調査を行っています。社会科学とこういったアート作品の間にある違いについて、どのように対処されていますか?

ハーケ:
もちろん、その2つは異なるアプローチとゴールを持っています。私は社会科学研究者や世論調査員としての訓練を受けていませんし、私の世論調査は明らかに素人っぽいやり方で指揮されています。ピエール・ブルデューやハワード・ベッカーの文章を読み、彼らに実際に合うことは、非常に楽しいだけではなく、私を沢山助けてくれました。
私達の対話記録のいつくかは出版されていますが、私はいかなる社会学的専門性も主張しませんし、本棚が社会学の論文で溢れているわけでもありません。私はこの分野の専門家に、自分の世論調査データをどう評価するのか聞くことに興味があるのです。
最近のヴェネツィア・ビエンナーレのものでは、22,352人の参加者が集まりました。ですが残念ながら、このビエンナーレが知っているのはジャルディーニやその他の公式展示会場に入場するためのチケットの売上数だけなのです。私の質問に出会ったかも知れない、中央パビリオンの来訪者数の情報は何もないのです。

Hans Haacke, Gift Horse, 2013-15. London, Trafalgar Square. © Hans Haacke-VG Bild Kunst.

スティアン:
私はどこかで、あなたが“アーティストの予約販売及び譲渡契約書”を用いている稀有なアーティストである、と読みました。この契約によって与えられる権利の中のひとつに、公共展示に作品が含まれることに対する拒否権があります。このような権利をアーティストが持つことは稀ですが、過去に行使したことはありますか?また、どういった状況下でそれを行使するのでしょうか?

ハーケ:
はい、関わりたくない企業や産業が後援している展示から作品を引き下げたことがあります。テーマやキュレーションのアプローチに疑問を感じた展示に、自分の作品が出展されるのを拒否できるのです。
これは都度状況に応じた判断になりますが、美術館が所蔵品のひとつとして作品を展示する場合は、私への確認は契約上不要です。

スティアン:
アート・ワールドにおいて市場の存在感が強まり、意思決定力を持つようになったことで、アーティストが作品展示環境を自分でコントロールできなくなっていることについてなにか考えがありますか?

ハーケ:
それに答える前に、前述の契約は1971年にセス・シーゲラウブとロバート・プロヤンスキーによってデザインされたものだと言及させてください。これは私の発明ではありません。両者は美術家労働者連合およびその関連グループと繋がりを持っていました。
私達が話した条項とは別に、この契約にはもう一つの重要な特徴があります。それは当初の購入金額に加え、コレクターは再販時に作品売却益の15%をアーティストに支払う必要があるのです。新しい所有者もまた、アーティストとこの契約を結ぶ義務があります。
この契約が販売促進に繋がらないのは間違いありませんね(笑)この契約を受け入れているアーティストが少ない理由のひとつは間違いなくそこにあります。

私は頑固者です─それに私は幸運にも教職に就くことができたので、作品の売上に家賃の支払いが左右されることもなかったのです。多くのコレクターにとって、また多くのギャラリストにとって、この契約書は人気があるとは言えません。
そのため、若手や“非エリート”のアーティストがこの契約を使おうとすると問題が起きるのです。それは、彼らが作品を展示・販売する機会、つまりは公開される機会が少ないことを意味します。

Hans Haacke, Gift Horse, 2013-15. London, Trafalgar Square. © Hans Haacke-VG Bild Kunst.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?