日記 蛇を振り回せ

2019/12/1

 ふと、この夏にあいちトリエンナーレでみた、ウーゴ・ロンディノーネの《孤独のボキャブラリー》というインスタレーションを思い出した。

気になる人向けに、公式運営サイトの作家・作品紹介リンクを貼っておく。

 なぜこれを思い出したのか、とのことだが昨日の出来事を思い出したからだ。

私個人は孤独が必要だと感じる人間で、一人きりの孤独な時間が無いと調子が崩れて日常生活に支障をきたしたりする。だから同年代の人間と比べれば一人でいる時間は長いだろうし、孤独にはあまり弱くないタイプだと思っていた。
8月9月の長期休暇も知り合いからの誘いは全て断り、LINEは未読無視を続けて家族とバイト先の人間以外にはほぼ誰とも会わず自室で鎖国をしていた。しかしここで言う孤独とは、実質的には孤立だ。ただ単純に一人でいた方がやりたいことに時間を使えたりするから自主的に引きこもりをしている。故に寂しさを感じたり落ち込むことはない。

 だけど私も人間だから孤独を感じることはある。そのシチュエーションは決まって人といる時だ。流石に毎回ではないけれど、一人きりでいる時には感じないような不安感や心細さを感じる。大勢の人が集まっているシチュエーションだとなおさら陥りやすく、不安感を強く感じて泣きそうな気分になる時がある。

 昨日は通っている学校の学内でワークショップがあり、私も参加してきた。内容はとても充実していたし、SNSに上がっている記録なんかを見返したら良いワークショップだったんだろうなと思った。
私は参加していたにも関わらず傍観者のようにそれを眺めてしまう。理由としては最後の成果物発表の時に自分が孤独を感じる条件が揃いすぎていてなんか死にそうと思ったからだ。持参したMacBookは通常通り作動していたが、私の思考はフリーズしていたのでその時の記憶はあまり残っていない。ぼんやりと講師の人のつくったものがかっこよかったりしたような記憶や、日頃よくお世話になっている先生がフォローしてくれたり外部からの参加者の人と会話できた記憶が漂っているけれど。

 他の人と自分を比べる意味など無いことは分かっているが、あの空間を楽しめていなかった人間はおそらく自分だけだったので帰りの電車で惨めな気持ちになって涙が出た。帰りに高校生の頃好きだった密室系、好きなパンク、戸川純を爆音で聴きながらまあまあ高い寿司を食べに行ってやった。だけど一昨日行った歯医者の治療が荒かったおかげで、片方の口の端が痛くて全然食べる気になれず余計に虚しかった。
 地元の駅に戻ってくると小学生ぐらいの女の子が親の制止を振り切って蛇のおもちゃを振り回して走っていた。それを見たら笑える気分じゃなかったのになんか愉快で笑ってしまった。自分もこれから孤独を感じた時は蛇を振り回して走ろうかなと思った。