2024年1月に読んでよかった本「増補 サブカルチャー神話解体」

今読んでも新たな気付きがあって面白い。まさに傑作。
造語が必要以上に多く感じられるのはマーケターゆえか。

本書で論じられる90年代までの宮台の社会分析は2024年現在も有効だろうか?
基本的には有効だろうが、このような分析がかつて持っていた社会的な意味は相当薄れていると思う。
ここで言う社会的とは主にマーケティング的な意味を指す。

実際のところはわからないが、インターネットを筆頭に情報技術が全面化した現代において、統計から導き出した理論に基づいて行うマーケティングは、機械学習やニューラルネットワークといった主に計算機能力によって導き出されたクラスタリングに基づいて行うマーケティングに対して、どれほど優位性があるのだろう?
マーケティングのために理論立てをすることは本質的に必要なのだろうか?
宮台の言う「島宇宙化」がさらに加速し細分化された(とされる)20年代においてそれらを分析してみせる言葉はどれほど有用なのだろう?

社会的な意味の減衰と反比例するように、個人的な意味は増幅しているように思う。

宮台が文庫増補版へのあとがきで述べているような、若い世代の「総社会学者化」──つまり既存の社会コードへの信頼の失墜を認識し、「底が抜けた社会」で前提を探る(メタを取りに行く)態度──は、さらに徹底されている。
この状況下では、あらゆる理論、思想、哲学は前提を得る(メタをとる)ための一手段あるいはそれ以下になる。
つまり前提を得るための他の手段と入れ替え可能となり(サブカル化)、さらにはその実質ではなく形式のみを享受する態度すら生まれる(ファッション化)。

それが例えば本書で取られた統計を用いた伝統的な学術として正当性を担保されているものであってもこの帰結は免れない。
そのことをいち早く認識していた宮台がフィールドワーク(という名のナンパ)に注力していたのは広く知られるところである。

ここまでは本書に書かれていることの枠内にある。
文庫増補版へのあとがきと上野千鶴子による解説まで含めても2007年までの想像力である。

それでは2024年の想像力なら?
VTuber文化に引き付けて考えてみたい。だがやはりメタを取る態度の意味付けに難を抱えているのだ。


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