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【読書レポ 論文編】守られ、愛されなければ女の子としていられない

1.「かわいい」差別

様々な知の領域で性差別の話題が続いています。わたしたちの社会に根を下ろした差別に対して向き合ってきたはずの大学でさえ、女性へ不当な評価を続けたことが明るみに出ました。

4月12日、東京大学の入学式の式辞で、女性学を専門とする上野教授が語った祝辞の内容が話題になりました。その中に「かわいい」価値に潜むねじれによって、女子学生が自らの成果に誇りを持てない現状や進学できない女性の存在が以下のようにピックアップされました。

なぜ男子学生は東大生であることに誇りが持てるのに、女子学生は答えに躊躇するのでしょうか。なぜなら、男性の価値と成績のよさは一致しているのに、女性の価値と成績のよさとのあいだには、ねじれがあるからです。女子は子どもの時から「かわいい」ことを期待されます。ところで「かわいい」とはどのような価値でしょうか?愛される、選ばれる、守ってもらえる価値には、相手を絶対におびやかさないという保証が含まれています。だから女子は、自分が成績がいいことや東大生であることを隠そうとするのです。平成31年度東京大学学部入学式 祝辞より引用

このように「かわいい」価値と「女性」の価値が結びいたことで、女性を「かわいい」に執着させる社会の仕組みが存在することについて、保育の現場から調査した論文を共有します。

共有する論文:『かわいい女の子はいかにして可能か』

2.「かわいい女の子」がもつ不透明な評価理由

三橋とバーデルスキー(2009)は、先行する「かわいい」に対する研究について、以下2つの問題を指摘します。

先行研究の多くは、「かわいい」が若い女性によって辞書的な意味から逸脱させられて、何に対しても使用されている―つまり、乱用されている―ように見える状況を問題視(化)していることがわかる。しかし、それらの研究は、「かわいい」が実際の自然的な場面でどのように使用されているのかを明らかにすることなく、それが乱用されているかのように述べている点で―
通常使用の仕方を明らかにしないまま、それが「乱用」されていると主張できるはずがないのだから―問題である。さらに、それらの研究は、「かわいい」の主な使用者としても、「かわいい」と他者から言われる対象としても「女の子」を暗に前提とし、議論を展開していながら、そうした前提の根拠を一切示していない。p.50

つまり「かわいい」を語るときに、論者がステレオタイプを無意識に反映させている現状があります。そこで、まだ言語未発達な子どもが大人である保育士とのやり取りの中で、何を「かわいい」と評価する様子を観察しました。

その結果、「かわいい」とされる評価基準には、「小さい」「か弱い」「女の子」という要素があることが観察されました。注目すべき点は、辞書に記載されない「女の子」が要素として挙げられる点です。この点の象徴的な保育士と子どものやりとりを三橋らは、以下のようにまとめます。

まず、1~11行目では、唇に口紅をぬることについて、それを女性の活動として先生たちとマオ、ヒナ、エミナの間で会話のやりとりがなされている。だが突然、先生1はそれまで会話に参加していなかった「男の子」であるカズキに向き直って、「女の子は(.)かわいいから。 <中略> 男の子は?」とj話しかけている。(12~15行目) p.55

ここから2つのことがわかります。ひとつ目は、「女の子」というカテゴリーが「かわいい評価基準」に含まれていることが、規範的知識となっていることです。ふたつ目は、この評価基準を先生たちが子どもたちも当然理解しているはずだと思うほどに、この評価基準が日常に浸透していることです。

保育士と子どもたちとのやりとりから「かわいい女の子」は、規範的に可能になっていることが確認できました。

このことは、以下の2つのことを意味すると考えられます。

①「女の子」はそれ以外の理由を要さずに「かわいい」と評価できてしまうカテゴリーだということ
②女の子は別の「かわいい評価基準」によって同時的「かわいい」と評価される可能性があること

①については、もし女の子であるのに「かわい」くなかった場合、女の子はかわいいことが当然の評価になるので、そう評価できない何か「異常な」理由があることを想像させます。つまり自分は女の子であるがゆえに、かわいくなければならないとより一層、彼女たちを「かわいい」に敏感にさせます。

②については、ある特定の女の子が「かわいい」と評価された場合、その理由が不明であればあるほど、「かわいい評価基準」に含まれる「小ささ」「か弱さ」の要素も持っているからだと読むことができます。つまり「かわいい女の子」=「小さく」「か弱い」ものという規範を成立させます。したがって「かわいい女の子」は、守られ、大切にされなければならない存在だというイメージになります。成人した女性が、―男性から―「かわいい」と言われると馬鹿にされた気がするという発言がみられることは、自分が立派な大人であるのに「小さく」「か弱い」と思われたからだと考えられます。

以上の考察から、女の子を「かわいい」に執着させる社会の仕組みがあることが分かりました。このことは、「かわいい」が「女の子」を構築することがうかがえます。

3.「かわいい」をアップデートする

多くの人たちが「かわいい」を「少女」の特権であるかのように感じているかと思います。今回の論文で、「かわいい」は社会が与えたプレッシャーである可能性が挙がりました。

つまり女の子は、守られなければ生きていけないというよりは、守られる対象になることを求められていると分かります。それは、はじめの上野教授の話の例に合わせれば、多くの男性は女の子は「小さく」「か弱い」から守らなければならないといいながら、「小さく」「か弱い」ものを守りたいという欲望を女性に向けているのではないでしょうか。

「小さく」「か弱く」いる―というか振る舞う―ことを生存戦略として、積極的に男性のまなざしに応えていく女性もいるでしょう。しかしこれは、彼女が自立しているとはいえません。わたしたちは、誰かに守られなければいきていけないことも、男性に守ってもらえることもすでに、幻想であると知っています。

ファッションの分野では、自らの「かわいい」を体現することで自信を得たという語りを散見します。そこには異性から選ばれるためという目的がありません。自分のためになって「かわいく」なって、それで多くの人々から「かわいい」と称賛を得る人たちも絶えずメディアに現れます。

もしかしたら、女性として自立することと異性から嫌われないようにすることとのジレンマから脱却する鍵になるのも、新たな「かわいい」が示していくのかもしれません。

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参考・参照文献:三橋弘次、マシュー・バーデルスキー 「「かわいい女の子」はいかにして可能か―保育士と子どもとの相互行為分析」『国立女性研究会館研究ジャーナル』13巻、2009、pp.49-58

このnoteは、現代日本のポピュラーカルチャーの重要な要素「かわいい」をキーワードに随時記事を投稿しています。
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「かわいい」という評価について女性はどのように捉えているのかについて、以下の記事で共有しています。

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