【型】と【中身】 日本文化の特質より

皆さんお久しぶりです。
龍平です。

最近は、自分のやりたいことに素直に行動できているなと思える今日この頃です。

今日は、2014年発刊 松本青也さん著の
『日米文化の特質』 価値観の変容をめぐってを読んで気になったことを書いていこうと思います。

これから、何回かこの本について書くことがあるかもです。

自分は、小学生の時、一番仲の良かった友達に誘われて、剣道、居合道と武道を習い、いい意味でも悪い意味でも、日本独特の慣習?や所作などを身近に感じてきました。

大学入学時に体育会の居合道部に入部したとき、同期(同期と言っても8つほど年上)の外国人の留学生がいました。

彼は、とても日本の文化に対して熱心で、いろいろと『これはどういう意味か』などと聞かれることが多かったです。

そんなことを毎日のように、質問されたり答えていく中で、日本の文化について再確認することになりました。

さて、今回は【型】と【中身】について自分なりに読んで感じたことを書いていこうと思う。


まず、この章の冒頭にある『日本にある古くからの型は、皆はがそれをいいと思ってきたから続いたのであって、今さらなぜ、そういう型が存在するのかなどと考えている暇があったら、まず古くからのしきたりや作法を覚えることだ、と考える日本人は多い。』

『伝統の型は、最初は面白くなくても時間が経てば経つほど味わいが出てきて良さがわかってくる。最初は我慢して型から入れば、やがて中身の面白さがわかってくる。』

日本では、特に物事の入り口にはおいて、こういった考え方に出くわす場面が多い。

会社にいけば、「新人は15分前に出社しなさい」
学校では、「前髪は眉毛にかからないようにしなさい」

しかし『なぜやるのか』を明確な理由をもって説明できる人はほとんどいない。
「これまでこうだったから」「こういうことに決まっているから」
が逆に一番多い理由ではないだろう。

自分が体育会に入った時の一番最初の指導もそういった類のものが多かった。

これは、悪いことではなく、【中身】よりも【型】を優先する日本人の特徴なのだ。


この、章の例には、以下のようなものもある。

英語なら、
「I looked a movie yesterday.」
(昨日、映画を見た。)が

日本語では、
「昨日映画を見てきた。」
になる。

これは、
「映画を見て(ここに戻って)きた。」という意味合いで、

もっというと、
「私の居場所は、あなたと一緒のこの場所なのです。」
という意味も感じ取れる。

つまり、
相手に対する思いやりの気持ちを表すための型として存在している。

これは、欧米の人には理解しづらい表現、感覚である。

しかし、この型「見てきた。」という表現の型には、
しっかりと相手に対する思いやりという意味、理由がある。

型を人に教える際には、その意味を自分で理解して合理的な理由を伝えることができるかどうかで、実際に型を行う受け手の納得感とその型の【中身】も全く変わってくると思うのだ。


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