『"Ultimate DOOM"と"DOOM2"は別物だし前者は単なる発展途上でもない:上』

 楽しさを共有する―あるいはその振りをしてる事自体が本旨となる―複数人での遊びを自分がほとんどせず専らソリティアに費やしてきたからな気がするが、面白いのだけれどそれが何故かは分からない。下手をするとその楽しみ方のコツを忘れてしまうという事がしばしばあったような記憶がある(これは最近だと洋楽のアルバムを聴くときに頻発する、英語が聞き取れずに歌詞を忘却してしまうからだ)。"Ultimate DOOM"はそういう種類のゲームである。
 "Ultimate DOOM"は確かに"DOOM"ブランド、更にはFPSの嚆矢になったゲームだ。それだけあってマップの中を駆け巡る過程でシークレットエリアから銃や回復薬を見つけ、悪魔を倒し、ゴールに辿り着くという基本的な構成は次回作に継承されている。然し全体的な構造からミクロに近づくとその内訳はだいぶ違う。即ち、"Ultimate DOOM"ではまだ敵が多くないしダブルバレルショットガンも無い、骸骨とのインファイトの中にショットガンを撃ちこむ興奮、火炎を撒き散らす巨体に遠くからロケットをブチかます高揚、ロストソウルを産み出す浮遊生物をガトリングでハチの巣にする緊張、不可避の魔法を使うネクロマンサーを万難を排して一刻も早く肉塊に変える焦燥はまだ登場していないのだ。詰り狭いマップで、乏しい敵と乏しい武器で地味に渡り合うのがこのゲームの基本なのである。
 だが、にも拘らず"Ultimate DOOM"は単なる発展途上ではない。寧ろ、次回作とは違う面に於いて表現と遊び方を突き詰めた完成度の高いゲームだ。この詳細については下で述べさせてもらうが、遊戯に於いては行動の可能性の多さが必ずしも楽しさの増強に繋がらないという事を示しているように思える。(続)

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