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せてよん初ベリーショート&転校

いよいよ大学の準備が忙しくなって来た気がして…海外大学生になるのかぁ🤔と実感してきたせてよんです笑

↓今回の見出し画像について↓
“I’m Ugly”は日本語で、”私、醜い(ブス)”って意味です。今回は前回の小1エピソードからの続きになっているので読んでない方は先に読むのがオススメでっす!いきなり私、醜いってどうした!?って感じですがかなり今回の話のキーワードになってます。


 皆さんは自分の容姿で気になるところ、コンプレックスなどを見つけたのはいつ頃ですか?きっと人それぞれ時期は異なると思います。私は小学2年生になる少し前から大学生になった今も自分の容姿で悩んだり、時には嫌な思いをして来ています。きっと私と同じ悩みや経験をしてる人は世界にはたくさんいるので、まずは今私がいる日本で同じ境遇の人を救えたらなと思っています。

 あの図工騒動があった後の話からしたいなと思います。前回は黒板の隅っこに書かれていた”放課後呼び出しコーナー” に初めて名前を書かてしまった問題児デビューせてよんが担任がもしかして母を呼び出すのではないかと焦ったのが最後でしたよね。先に言わせてください!しっかり担任に怒られましたし、母に連絡も行きました笑

 母は私が生まれる前から私が大学生になった今でも自宅で英語教室を開講していて、地元で有名な英会話教室でした。100人程の生徒(幼稚園生〜大学生)を1人で受け持っているとっても忙しい先生で、平日はずっと夕方から23時までレッスンがある母が放課後に学校に呼ばれても行けるわけがないので、電話で別日に喋ったそうです。母が私の変わった言動の件で色々言われたのは初めてじゃないんです。幼稚園の保護者面談や1年生の家庭訪問で既に質問攻めされたり、家での教育について責められたりしていたらしいです。なので母は全く私に対して怒らなかったし、むしろ話を聞いてくれました。

 図工での一件があったくらいの時期に母の知り合いで、私とお同い年の息子さんがいる人から素晴らしい情報を私は聞きました。それは “インターナショナルスクール“の存在です。英語で授業が受けられて、担任は外国人の先生…私が1番夢見ていた世界でした。でも近くにある訳なくて、自分の家からだと片道2時間半以上かかることを知りました。どうしても今いる現状から飛び出したかった自分にとっては最高な話で、母にその話を聞いた日から毎日お願いし続けた結果、家族で話し合って決めようとなりました。またまた先に言うと、父は大反対しました。通えるわけがないし、そんな環境は大丈夫なのかと賛成する気は全くありませんでした。当時小1だった私なりに行きたい理由などは熱弁しましたし、泣くほどお願いもして、少し考えてくれることになりました。

 実はインターへの転校を家族で考えてる間、私はもう一つ問題を抱えていました。正直に言うと、あの時いくら両親が転校のことで必死になっていたとしてもその悩んでいたものを素直に打ち明ければ良かったのかなと今になって考えていたりします笑それは自分の外見がバカにされていたことでした。いきなり掃除の時間にバケツの水を足にかけられたり、教科書を隠されたり…良く考えたらいじめでした。で当時の私は諦め気味でした。先生や周りにいた数少ない友達にも見て見ぬふりをされていたし、両親は転校の件があったので全く言えずに日常を過ごしていました。そんな日々を過ごしていくうちに私の容姿への考えは歪んで行きました。周りの女の子たちが自由帳にお絵かきをしているものは “かわいい“ お人形さんの着せ替えごっこだったりでしたが私はそんなものに参加できる権利はありませんでした。絵に自信がないのも理由の一つでしたが、自分の似顔絵を描かれたりした時に顔についてバカにされないか、自分が着せ替えごっこのムードを壊しちゃうんじゃないかと考えすぎる癖が止まりませんでした。その思考は悪化し、鏡で自分を見ることに少し抵抗を持つようになりました。早く解放されたかったのが正直な気持ちです。

  両親が転校について話し合った際に私に “見学“と言う提案をしてくれました。もちろん現実逃避にもなるし私は大賛成しました。きっと素晴らしいところに違いないとワクワクだった私は車での長旅でも一睡もせずに転校候補の学校へ行きました。とっても敷地が広く、なんとど真ん中には野球グランドも!何より驚いたのは小学校から高校までが同じ敷地にあって、少し敷地を歩くと学生寮があると言うことでした。私のことを案内してくれた女性の先生は私と両親に学校についてたくさん教えてくれました。特に私の心をギュッと掴んだのは “いじめや生徒同士でのトラブルは全くないんです“と担当の先生が言ってくれたことでした。

 数日経って、父は私に寮に入ることを条件に転校を許してくれました。私は嬉しくてたまらなかったことを今でも覚えています。そして夢のインターナショナルスクールへの転校と同時に私は長かった髪をベリーショートに切ることを決めました。自分で生活をする際に髪が短ければ洗うのも楽かなと自分なりに工夫した案です笑

 この私の転校で1番大変だったのは母でした。たくさんの保護者からの批判、先生からのキツい言葉…迷惑をかけたなと思っています。 母にに当時のことを聞いたら、やはり1番言われたのは

“親が英語の先生だからって子供を英語の学校に行かせるとかかわいそう“

だそうです。でも母は元々メンタルが鋼のように強く、何を言われようと冷静にいれる性格なので全く気にしなかったらしいです笑 私が行きたくて決めた道なのに母がそんなことを言われていると考えると今も悔しくてたまりません。でも、もう誰からもバカにされたり、日本語のことで悩んだりしない…そう考えていた私を今の目線で見ると “私って少しはポジティブになれるんだ😅”と思いますね笑

 そして2年生になると同時に新しい学校へ転学しました。着慣れない制服を母に着せてもらい、新クラスに行ったら自分の名前が貼られた席に座りソワソワしていました。文が多すぎて忘れているかもですが、私の髪型はその時 “ベリーショート”にしてます!笑 そして隣に座った新クラスの女の子にこうやって話しかけられたんです

“え…女子でしょ?😧”

すると同じ並びに座っていた子がその子に言いました

“気持ち悪くない?”

あれ…私くる場所間違えた…?聞き間違い?頭の中で色々考えましたが…

Sorry it’s a bit long compared to the last post:(
前回より全然長くなっちゃいました。ここまで読んでくれて嬉しいです!
次回は小学2年生エピソードをフルで話そうかなと思います。
楽しみにしてくれたらいいな♡

せてよん


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