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祖母の最期から親の介護を考えた(書籍紹介)

私には、93歳になる祖母がいる。
2001年から認知症の症状が出始め、8年前からグループホームに入所、4年前には特別養護老人ホームに移ったいた。
しかし2023年になり入退院を繰り返している。
介護なんて遠ーーーい先の話」と介護する母の話を他人事として聞いていのだが(ごめん、母。)今回ガンが見つかり、私は介護と死に方について興味を深めている

祖母の積極的治療をやめる


特別養護老人ホームにいた祖母。
「胃の調子が悪い」というので、病院の検査を受けることになった。
MRI検査により膵臓ガンが見つかる。
検査のための転院を提案されたが、以下の理由により積極的治療は行わないことにした

・病院にいると認知症の症状が進むように感じているので、特別養護老人ホーム(以下 特養)に返してあげたい
・祖母は話好きなので、病院にいるより特養でおしゃべりして過ごすことを望むのではないか

エンディングノートなど祖母の希望が分かるものがないので、積極的治療をしないという決断をするのは正直気が重かった。20年近く母に決断をさせていたことに胸が痛んだ。

特養に看護師が常駐していないことを理由に、祖母は特養へ帰ることはできない。近いうちに緩和ケア課へ移るだろう。
コロナ禍になり、もう随分会っていない。
勇気を出して手紙を書き、花をもって見舞いに行く。
(もしかしたら内緒で会わせてくれたりしないかな…遠くから行くのだし)
そんな期待は甘かった。
看取りの時期にかかっているのに、会えない。

祖母の思い出

祖母は、働き者で優しく、放任主義で接してくれる大人だった。
40代で夫を亡くし、女手ひとつで父を育てた。フルタイムで働き、田んぼや畑仕事も1人でしていた記憶がある。「女は家庭」と言われる時代に働く祖母は、生きづらい人生を歩んだのではないかと思う。

私は祖母が大好きだった。
小学生の時は毎日一緒に寝た。祖母の話す戦争の話が好きだった。
料理は苦手だったが、彼岸にはおはぎを一緒に作った。
運動の苦手な私に跳び箱や鉄棒を教えてくれた。(今でもできないので、教える才能はなかったと思う。笑)
大人なら「ああしろ、こうしろ」と言いたくなるところを抑え、孫のやりたいことに手を貸してくれる存在。それが祖母だった。

介護に興味を持ったらオススメの書籍


介護や人生の最期を身近に感じるようになり、読んだ本がこちら。
私は30代ですが、少し先を考えつつ準備できることがあるんだと気づきました。

知識がよりよい選択につながる

親の介護とお金が不安です

最初に読むと大まかな流れや知識がつきます。マンガで理解しやすい、データ(介護にかかる費用、介護年数)があり、お金と時間の覚悟がつくなど取り掛かりにおススメです。


私がグッときた部分はこちら。

・介護とは、離れて暮らす親ができるだけ長く自立した生活を送れるようにサポートする
・介護が始まってますよ。親の話を意識的に聞くこと。それはもう立派な介護です。

<親の介護とお金が不安です>

私の父母は60代半ば。介護や最期をどう過ごしたいか正面切って聞く勇気が出ない。そこで少しこまめに母の話を聞きながら、希望を探ろうと思いました。

母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記

N数=1でも体験談というのは、介護の流れを体感的に理解するのに役立ちます。正直に失敗談や母に手を上げてしまったことを書いてあるので、実感を持って読むことができます。

私がグッときた部分はこちら

・老いるということは、そのどこを取り出しても不可逆の過程だ。母が自分で排泄をコントロールできるかぎり、がんばってこの家で母の介護をしよう。自分の力で排泄するということは、人間にとって根源的な尊厳の源だろう。母が自らの能力で尊厳を保てるかどうかを、家での介護を続けるか否かの基準としたのであった。

<母さん、ごめん。50代独身男の介護奮闘記>

「自宅で最期を迎えたい」そんな希望を誰しも持っているが、やはり家族が中心の介護では難しくなる時があるのだと、気づきました。
排泄のコントロールという具体的な指標(そこに至るまでの思考)が参考になった1冊です。

介護や病気、最期の話を日常的にしよう


私たちは、親は、今日が人生で1番若いのです。
今日しにくい介護の話は、数年後にはますます現実味を帯び、時には反発や暗さを伴うかもしれません。
だから、帰省した際は「お母さんなら○○な時どうしたいとかある?」と台所で聞いてみようかなと思っています。
参考になれば幸いです。


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