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着ること つくること

やよいの保育には仕事着があります。奄美大島で泥染めと藍染めをした七分丈のシャツです。

奄美大島を訪れたときに、ちょうど宿泊先のビーチで海開きの神事が開かれました。土着の信仰が色濃く残っている奄美大島では、生活道路のように神の道というのも存在していて、人々はとても大切にしています。そしてこの海開きの神事の時に、山の神様が海の神様に会いに来て、浜の先に或る岩場で出会う、という話でした。

今ではリゾート地である奄美大島で、レジャーを安全に楽しめるように願う意味合いもあるようですが、同時にこの前年に生まれた赤ちゃんの足を神さまが出会うこの浜の海に浸すと、健康に育つと言い伝えられ、無病息災を願って島内の赤ちゃんが毎年参加するようです。

この話を聞いて、海の神様と山の神様は出逢ってどんな話をされるのだろうと思いました。

そして泥染めをするのに、海のものを持っていこうと思いつき、浜辺でサンゴ礁やら貝殻を拾いました。泥染めは山の中に或る工場でするので、山のものと海のものを融合するというのはとてもいい思いつきに思えたのです。

この時にはまだ仕事着の構想は正直なかったのですが、たまたま七分丈のシャツを二枚持っていて、おまけに泥染めと藍染めの両方があると聞いたのでそれぞれ左右対称のデザインにして仕事着としたらいいなと、これも思い付きで急きょ染めることにしました。私のやりたいことは思い付きで始まることが多いです。でもその思い付きはたいてい、良い感じになります。

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染めが終了してデザインに使用した貝がらやサンゴを取り出す作業の時です。傍らでその作業をを見てた方が、中からサンゴや貝殻が出てきたのをみて驚いていたので「海のものを持ってこようと思って」という話をしました。

「意識が入るね」

その方からそう返事が返ってきて、ハッとしました。

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これは私の生活習慣と関係するのですが、オンとオフの切り替えを衣服でしているところがあります。保育園に勤めていた時も、自転車通勤にもかかわらず必ず職場でジャージとシャツ(保育士はたいていこれが仕事着)に着替え、仕事が終わればジャージを脱いで通勤着に着替えて帰宅しました。

快適さで言えば動きやすいし、家に帰って自分の子どもを見ることを考えればどうせ汚れるならジャージでもいいと思うのですが、私の中ではどこかで仕事と家庭で線引きをしたい、区切りをつけたいという思いがあります。

もちろん衛生的に考えても、保育園は集団生活をする場なのでその分いろいろな病原菌もあり、それを家の中に持ち込まないという意味合いもあります。

しかし、私の場合は気持ちの切り替えの方が大きいように感じます。特に我が子が保育園児だった頃は、母である自分と先生である自分とが混ざり合って時々混乱していました。そういう意味でも切り替えは必要だったと思います。

この家着と外出着を分けるというのは、仕事を始めてからの習慣というわけではなく、私の実家の習慣でもありました。家に帰ったら部屋着に着替えるというのは実家の文化だったようです。今も続けているのは、私自身の着ることへのこだわり(意識)になっているからです。

一方夫はというと、仕事から帰るとシャワーをして部屋着に着替えそのまま眠ってというスタイルです。パジャマに着替えないのが私には腑に落ちませんが、それが彼のくつろぎスタイルでもあり、洗濯物を増やしたくないというこだわり(意識)でもあるのでとやかく言うことはありません。

中学生の子どもはパジャマに着替えるところを見ると、私の習慣が残っているように感じます。彼は彼なりに素材のこだわり(意識)があって、服選びに難儀します。

三者三様それぞれにこだわり(意識)のポイントがあって、それがうまく融合して新たな文化がうまれていくのだなあと感じます。


泥染めを行った大島紬村です。


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