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教養が身を助く

アイルランドへ行ったとき、偶然立ち寄った教会が「ガリバー旅行記」の著者スウィフトにゆかりのある場所で、教会内にお墓があり、スウィフトにまつわる資料などが展示されていた。

教会の中に入ると人の良さそうなおじさんが近寄ってきて、展示について説明を始めた。おそらく地元のボランティアだろう。

もちろん英語での説明が理解できるわけでもないのだが、「ガリバー旅行記は大人向けの風刺作品であったこと」「スウィフトの作品は残虐な描写が多いこと」など断片的な知識として知っていたので、なんとなくそういった説明がされているのだろうということは理解できた。

話変わって先日、片言の英語の私と片言の日本語のアメリカ人とヨガについての話になった。それぞれの外国語のレベルはおよそ同じくらいだと思われる。

日本でヨガをする人は圧倒的に女性が多いという話から、今でこそヨガ人口も増えたがかつて日本では地下鉄サリン事件の影響でヨガに対してあまり良いイメージを持たれていなかった。という話をした。

かなり怪しい英語ではあったのだが、相手が「サリン事件」を知っていたおかげで、そこから「わかる。わかる」と盛り上がり私の拙い話が伝わった(ように見受ける)

日本人の私にとってのスウィフトと、アメリカ人である友人にとっての地下鉄サリン事件はおそらくそれほど重要な話ではなく、生活に必要不可欠な話題ではないと思う。

しかし、知っていたというだけで言語や人種が違えども、共通の話題として話ができるというのはなんとも不思議で豊かな時間だった。

もちろん言葉が話せることに越したことはないし、より深い話もできるだろう。

それでも根底にあるのは何を話したいかなんだと思う。

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