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もはや目的を見失った大掃除

ついにおせちを作ることをやめた。

年末の大掃除もしなくなって久しい。

子どもの頃、家族総出の年末の大掃除は決まって12/26だった。なぜこの日だったと断定できるかというと、お茶休憩で必ず前日のクリスマスケーキの残りがお茶請けとして出てきたからだ。

そして我が実家の大掃除は、畳を全てあげて庭に出し、板敷の上に敷き詰められた新聞を全て取り除き、天井の煤を払い、障子を張り替えるという、「the昭和」な大掃除が決まり事だった。

田舎の家なので、和室が何部屋もあり、そのすべての部屋の畳を外に出して、畳同士を八の字に立てかけて天日に干す。そしてたたいて埃を払い、元の場所に戻すのだが、きっちり同じ場所に戻せず、必ずと言っていいほど入らない畳が出てくる。

おそらくこれは、田舎の昔の家なので建て付けが悪かったり、微妙に隙間があったりするからだと思うのだが、最初に畳の裏に番号を書いとくなり、同じ人が出して入れてを行う際に、わかるように目印をつけておけば回避されることなのだが、なぜかそれをする人がいなくて、我が家はいつもそれですったもんだした挙句、必ず喧嘩になるというお決まりのパターンだった。

年に一度の一大イベントであるこの大掃除は、とてもとても重労働な上、暮れも押し迫った師走の寒い時期で、親は早く仕上げてしまわないとその後の仕事にも差し障りがあるし、子どもたちは冬休みに入った早々、やりたくもない大掃除をさせられるし、祖父は気ままな人だしで、仕上げの頃になればなるほど皆の機嫌がマックスに悪くなるという、悪循環しか生まない行事だった。

そもそも、家族の中に「我が家の大掃除をする」目的の部分が明確化されていないのが問題だったと思う。いや、目的が「年末には大掃除をすること」になってしまったことが問題だったのだろう。

かつては大掃除といえば、新しい年を迎えるにあたり、家をきれいにして年神様を迎え、良い年であるようにという意味が込められていたと思う。

それが形骸化され、ただただ年末には大掃除をするべしに形が変わり、それに縛られた挙句に家族が大喧嘩してたのでは世話がないと言える。いや、あれも一種のコミュニケーションの一つだったのか。

今にしてはただの笑い話にしかならない。

天井の煤払いをした後に、お歳暮で送られてきた新巻鮭の箱を天井から吊るしておくのも我が家の恒例だった。

そしてその新巻鮭を捌くのは決まって祖父の仕事で、これも恒例だった。しばらくおかずは鮭ばかりで、レパートリーはなく焼き鮭が出てくるというのもお決まりだった。

決まり事は、それに慣らされてしまうと「そんなもん」で片付けてしまうけど、ふと立ち止まって考えると「おかしいな?」というものも多くある。そして、案外それに縛られて息苦しいと感じていることも。

お正月らしい気分が味わえないと言われたらそれまでだが、おせち→大掃除ときて、そろそろ年賀状を全面的にやめたい2020年の年の瀬である。

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