かぼちゃ
南の瓜とかいてかぼちゃと読む。
上の畑のおじさんが「かぼちゃの苗があるから持っていけ」という。
いつもの畑のおじさんが「かぼちゃの苗、いらんか」という。
自分の畑行ったら、胡麻を植えて芽が出ていた畝にかぼちゃが植えてあった。
カラシナを植える予定の隣の畝にもかぼちゃが植えてあった。
空いている畝がもう一つ。
畝を作るスペースはたくさん。
なのに、なぜ?
なぜわざわざ私の畝にかぼちゃを植える?
かぼちゃって、つるをいっぱい伸ばすやん。
スペースもたくさん取るやん。
胡麻を育ててるねん。
もう、芽が出てるねん。
私、かぼちゃになんかした?
うおぉぉぉぉぉぉぉ~。
ってな気分です。ほんとうに。
実はかぼちゃには好印象がありません。これは私の子ども時代に遡ります。田舎の夏は、毎日、毎食、食卓に同じ野菜が同じメニューで出てきます。もちろん、かぼちゃも。そしてかぼちゃは決まって煮つけでした。ごろごろと大きいまま、色の濃いしょうゆ色した煮つけ。その時の記憶が嫌悪感を抱かせるんだなあ。記憶ってすごいなあと思います。こんな形で残るものかと。
しかし、記憶は書き換えもできるはず。さて、どうするか?思案中。
サポートしていただけると今後の励みになります。皆さんからいただいたサポートは、こどもを巡るくらしをサポートして更なる循環をつくります。