時空を超えて
例えばSF作品で、人物が瞬間移動をする直前、画像が一瞬歪んで像が揺らいだのち、別の場所に移動するといった演出はよくある表現。
この原理は物体を最小単位の粒子まで細かく一回バラして、時間や空間を移動しやすくするということではないかと推察する。
そんなことができるかどうかは別として、つぶつぶまでバラシして再構築するというのは、まるで物体を最適化しているみたいな心持ちがする。
揺らいだのちに最適化され、物体として立ち現れる時、何かバージョンアップしたような、いらないものは削ぎ落とされるような。でも、どんな物体として表出したいかといったvisionや、物体の軸の部分をしっかりもっていないと、物体としての形が崩れ、最終的には時空の藻屑となってしまう危険性もはらむ。実にリスキーな行為。
9月には「軸」が立ち現れるのではないかと予想して、ゆらゆらとゆらごうと思っていた。
いざ10月になり、突如現れたのは「時空を超える」だった。
じくではなく、じくう。
「そう来たか!」と膝をポンと打ちたい気分だ。
軸を持ってただ存在するだけにあらず。
軸を手に入れたことにより、一瞬の揺らぎののちに、自由奔放に、瞬時に時空さえも超えることができるのだ。
もちろんこれは比喩表現である。
実際時空を超えるとはどう言ったものなのかはわからない。
ただ、目に前に現れる予想不可能な、病や、天災や、その他諸々のことを一つ一つ理解した上で乗り越える?、手に入れる?では、もう追いつかない。
それよりは、一瞬揺らいで最適化して、少々アップデートした私が異世界に着陸して生きていくくらいの心持ちでちょうどいいんじゃないか。
それくらいの軽やかさがあった方が、自在に生きていけるのじゃないかと、思う。
10月のキーワードは自在に生きていく。いや、今後の生き方は自在に生きる。
今はその練習期間。一瞬揺らいで、最適化。そのうちアップデートも早くなる。
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