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サザンオールスターズ、茅ヶ崎ライブ(9/28)

サザンを茅ヶ崎で観る。
チケットが取れたと知人から伝えられた時、あまりに稀少で実感が湧かなかった。
昭和から令和に至る日本の国民的バンド、ドームでも、チケットを取るのは難しいだろう。
そんな先入観もあって、機会は巡ってこなかった。ファンクラブに入っている知人があらゆる手を尽くして、今回自分のところまで回ってきた。
ラッキーが重なった。その人とは最近知り合い、仕事でよく顔を合わせる間柄になった。たまたまサザンの話題になった時、もしかしたらチケットが取れるかもしれないと言われた。時期が前後していたら不可能だったと思う。

茅ヶ崎の駅に降りると、独特の空気を感じた。

サザンビーチへ向かうサザン通り入口

湘南の海と女たちとの恋愛を繰り返し描いてきた楽曲群を、(音楽が鳴っていなくても)風景から浴びるように感じた。

サザン通りの店にて

通常のライブ会場へ、演奏を聴きに向かうのではなく、空気の其処此処に音楽が、風のように鳴っている場所の奥へ、入ってゆく感覚があった。

ライブ会場となった球場のバス停、ふだんは1時間1便しか来ない。

同時に、(サザンが鳴っていたあの頃)、の時間も、巻き戻されてゆく。

小学生の頃、『勝手にシンドバッド』の「今何時〜そうね大体ね」を、ドリフの『東村山音頭』の次に校内で皆が歌ってた。
高校ではじめて付き合った彼女に2つヘッドフォン・ジャックのあるウォークマンで何度も聴かせてもらった『バラッド』。やはり恋愛はうまくいかなくて、サザンの音楽だけが身体に残った。
大学になると、新しく知り合う人たちともサザンの曲だけは皆がソラで歌える、そんな、海外でのビートルズみたいな出来事があった。

ふだんは忘れているような記憶も、風の中に鳴っていた。

会場に着いた!周りは住宅街

日差しはまだ夏の勢いを残して暑かったけれど、傾くのは早く、急に冷めてゆく風が、胸を締めつけ、あの、サザンの楽曲の中だけにある特別な切なさみたいなものに身体ごとひたされていった。

こんないい席でいいの、とまだ信じられない気持ち

開演の時がおとずれると、あらかじめセットリストを見ないように決めていたので、『C調言葉にご用心』から始まる初期の楽曲群は、くるしいほど胸に刺さった。
小学校の卒業文集には、ガリ版印刷で誰かの書いたこの歌の歌詞が掲載されていた。

胸をつかみうなじを味わい痩せた腰を奏でて

『C調言葉にご用心』

もちろん小学生には、なんじゃらほい?の歌詞だが、手書き文字で全詞を掲載したくなるほどの何かがあった。

続くのが『女呼んでブギ』!

女呼んで揉んで抱いていい気持ち

『女呼んでブギ』

上の歌詞を(周りの女性に聴かれないように)仕事時に口ずさんでは、「あれ、演ってくれたらいいな(でも、難しいだろうな)」と知人と話していた。
サザンのライブを何度も経験している彼によると、茅ヶ崎で演奏された曲目には、いつもとは異なる、レアな部分があったらしい。
初期、中期、あるいは最近の曲から、サザンに入った人も、この茅ヶ崎ライブには、何かしら特殊な要素があったのでは、と思う。

9/28、開演直前の空

それは、風のせい、光のせい、海のせい……分からないが、予めコンサートを想定された場所ではない(ライブ後、帰路は茅ヶ崎駅まで3時間かかった)会場は、独特な空気に包まれていた。
夕暮れがおとずれ、茜色の空の下、潮風がこの世のものと思えないほど心地よく会場を吹き抜け、『夏をあきらめて』をバンドが演奏し始めた時、全て夢幻だった、とこのままライブが終わってしまってもかまわない、と私は思った。
それほどに、素晴らしいライブだったのだ。

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