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働くということ

人はなぜ働くのか。

お金のためとか、社会に貢献するとか、家族を養うためとか、いろいろ答えはあるだろう。人によってその位置づけは様々だ。

マズローの五段階欲求に当てはめれば、最も下の生理的欲求段階にある人にとっては日銭を得て生きるための毎日の手段だろうし、貯蓄があって余裕のある人にとっては、働く中で得られる充実感だったり、人に認められることだったりする。

世の中は、答えがあるようでないようなものだらけだ。
私は世の中に正しいことは何一つないと思っている。主観がこの世の中で構成されているので、絶対的客観は存在しないと思っている。

いま流行りの「多様性」とは、こういうことをいうのではないか。
そして、絶対的なことはないから、絶対に正しいこと、絶対に間違っていることも存在しない。

安倍元首相を銃撃した山上徹也被告の勾留が異例の1年を超えたとニュースになっていたが、山上被告にとっては正義であり、安倍元首相は悪であったはずだ。

時代が変われば価値感も変わる。私は常々、戦国時代に争いで人を殺した織田信長などがなぜ英雄されるのかはなはだ疑問である。歴史は勝者の歴史と言われるそうだが、勝てば官軍、負ければ賊軍なのだ。

いまの日本はこの状態にある。
だからこれだけ悪事を働いている自民党にみんな投票し、勝てば官軍になろうとする。

日本はもはや終わりだ。希望もない。

だからみな、政治に無関心になり、自分「だけ」が楽しめることに没頭するのだ。

もっと物事を大きく長期的な視点で考えるなければいけない。
自分のだけのためでなく、未来の人たちのために。

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