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鶴岡八幡宮の神社本庁離脱

神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮が、全国の神社を包括する神社本庁から離脱するための手続きを進めているとのニュースが流れた。

神社本庁によると今月7日、鶴岡八幡宮から離脱する旨の書類が神社本庁に届いたという。離脱の理由は書かれていないとのこと。

神社本庁は全国の神社のおよそ95%にあたる7万8000社余りを包括する宗教法人で、鶴岡八幡宮は昭和21年に神社本庁が設立された当初から、包括関係にある。神社本庁を巡っては、2020年に香川県琴平町の金刀比羅宮が離脱している。

(参照、NHKニュース)

神社本庁は「庁」と名が付くものの役所ではなく、宗教法人法に基づく文部科学大臣所轄の包括宗教法人だという。神社庁と何が違うのかと思ったが、神社庁とは都道府県の神社の人事財政などの諸事務や、神社・神職の指導、祭祀・地域活動の振興を図る活動などを行い、神社の活動の広報窓口となっているところらしい。

まあ細かいことは置いておき、私はこのニュースに比較的賛同したい。この神社本庁に限らず、ヒエラルキー組織には問題があるからだ。

それは「上納金」だ。

言い方は「分担金」とかほかの言い方かもしれないが、上の組織に納めるお金であることは間違いない。その原資は私たちが神社に参拝する際に納めるお賽銭だ。

こうした上納金システムは、神社本庁に限らず、ありとあらゆる組織に存在する。さまざまな分野の組織団体はこうしたヒエラルキーになっていて、末端の自治体レベル組織は多くの上納金を上部組織に納めなければならない。

もちろん伝統や文化、組織の維持のために上納金は必要なのだろう。最上部組織は直接的な収入源がないことが多いからだ。しかし、こうした話が出てくるのは、その上部組織が権限の行使や自分たちの保身のみのためにしか機能していなく、前例踏襲でその組織全体の向上や活性化に寄与していないからだろう。統一教会なども同じ組織構造だと言える。

鶴岡八幡宮の真の目的はわからない。しかし、鶴岡八幡宮にとって、神社本庁は不要だという結論になったからこその申請なのだろう。

人間社会は時代とともに常に変化を遂げて、進化してきた。それは、その時々に社会や組織構造に疑問を持ち、前例踏襲にとらわれない勇気ある人たちの行動によってだと思う。その勇気ある変革者の行動につられて追随するのが大半の組織や人間だ。

自分の損得や危険、批判を顧みず行動する人間になりたいと、あらためて思う。


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