見出し画像

行政が正しいことをしているとは限らない

少し前、幹線道路の真ん中に200の墓があり、開通できない道のことが話題になってワイドショーでも取り上げられていた。

ワイドショーの中では、近隣住民や移転した人のコメントを引用し、なぜ開通しないのかという不満を伝え、一方で寺院側が移転できない理由として移転対象外の墓があり、寺院機能と一緒の移転でないと寺院としての運営ができないこと、寺院としては道路開通に反対しているわけではない旨の紹介をしていた。

こうした話題を取り上げようとする段階で、一般視聴者は寺院側に非がある前提で番組を見る。それは道路開通計画を立てた行政が正義で、寺院側がそれを拒んでいるように映るからだ。そして行政が行うことは「正しい」という前提に立っている。

私からすれば、行政の見通しの悪さと、移転にかかる費用を道路開通部分しか払おうとしない行政の姿勢の問題からこのことについて切り込みたい。行政の上から目線と、公平公正という名を借りた臨機応変に対応できない硬直化した頭の悪い人間の集団がやることのようにしか見えない。

それは、法や規則に書いてあるからではあるが、任意に対応することはやぶさかではないはずだ。その時の事情に応じて移転費用を出してはいけないという法はない。なぜなら、例えば非難の対象になって久しい大阪万博は、開催決定に何の法的根拠もないからだ。

法的根拠もないものに何兆円というお金をかけ、ウソの経済効果をはじき出して公約に掲げたからといってゴリ押しする政治家、首長がいるのに、その何十分の一、何百分の一の費用を出せば寺院機能を移転できるのに、公平という名をかざして出そうとしないことが問題なのだ。

もっと言えば、行政が決めたことは絶対で間違っていないという姿勢がおかしい。国会賠償法では国はほどんど負けないという事例が表しているように、行政が正しい、間違うことをしないという前提にたっている。だから政府や行政は反省しないのだ。仮に訴訟に負けたとしても、当事者の首長や職員が腹をいためて金を払うわけではない。払うのは国民であり、税金からである。

このワイドショーは、行政と住民、寺院のすべての面から公平に報じていると言い訳するだろうが、報道された後の印象は寺院側に向き、行政の悪態に非難が集まることはない。

しかし、非難されるべきは行政である。

ワイドショー=テレビはここまで腐りきっているのだ。
テレビが流していることも、正しいと思ってみてはならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?