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翳るとも遮りはせず。



見せなくていい人、知らなくていい人には、なにかの傍ら流して読んでもらうことも、わたしの居心地が悪いし


前回は主に苛まれていることを書き綴るところとして使っていて、今は、その一件に区切りがついたこともある。
だからまた作り直したのだ。



この、noteというものは独白のようなものを書かせるな、とふと思った。



わたしに子どもはいない。

とある事情で、どんなに望んだとて、わたしの血が繋がる子孫というものは、今の科学技術上では、一生成しえない。


先日、「恋」と「愛」の違いについての討論をする機会があり、その中で「Aセクシャル(この場合は他者を好きになることができない、好きになるということが理解できない人のこと)の人は恋を知ることが無ければ、愛も知らないままなのか」という問に「知り合いにAセクシャルの人がいて、愛を覚える時はあるかと聞いたことがあります」と答えていた人がいた。


彼は続けた。
「他者への性的な関心は、やっぱりまるでないけれど。先日甥が生まれた時には、今まで感じたことの無い、なんてかわいいんだろう……という気持ちで胸がいっぱいになってしまった、と言っていました」

恐らく「父性愛」もしくは「母性愛」に近いものだと思われる。



関連した話だ。



先々月だったと思うが、急にすとん、と。



三者目線でも、二者間の相手ですら「どうして?」と思うような。



わかりやすく言えば"世話焼き"
悪くいえば"おせっかい"
嫌味を込めれば"お人好し"



人から言わせれば、どうにもわたしに対してポジティブなワードが出てこないような、そんな、わたしにとっての相手。


言葉というカタに当てはめて片付けてしまおうというわけでもなく、なんの感傷に浸るでもなく、思い当たったのだ。


これは、まるでおかしな話なのだが、
わたしは彼女を孫のような気持ちで想っているのだった。



さしあたって「爺孫心」とでも言うのだろうか。



おじいさんと孫、あるいはおばあさんと孫にしたって、いろんな形があると思う。


一概にのび太とそのおばあさんのような、親子を超えた血縁のつながり、端的に言えば愛情で満ち満ちているような、そんなつながりだけではないと思う。


わたしも祖父祖母と仲が悪い訳では無い。


わたしには兄弟もいなく両親も不仲のち離縁しているので、憐れみも愛情も持って接してくれている。
幼い頃は、固定された様式(おうちに泊まらせてもらって帰ったら必ず電話をするようなこと)が窮屈に感じたり、ひどくつまらなかったり、とても失礼で嫌な態度ばかりしてしまった。


今ではその時の償いではないが、自分で負担だと感じない程度に突然電話をしたり、旅先からお土産を送ったりしている。


わたしは彼らにとっての初孫で、特別なんだと昔から母に言われていた。
そう言われても、というのが本心ではあったがありがたい話だと思う。


鬱陶しいと感じていた様式に関しても、いくら血縁者であるとはいえ、手厚くもてなし風呂も干してある布団も用意してくれて、帰路も無事にこの度は本当にありがとうと言うことの、なにをさも当たり前かのようにふんぞり返っていたのかと、今では恥ずかしいくらいだ。



祖母は、天然感溢れるなかにもおちゃめなところがたくさんあって、継続する力がとてもある。

すぐにメモをとる習性があって、加齢による病気だとか物忘れとか、順当に来るべきものにはそなえと覚悟がある、受け入れる強さがあるなと思う。

わたしのことも、わたしからまず直接話をしたわけではないが、かなり早く受け入れてくれたらしい。

涙もろいし、食べ物の味覚の好みが似ている。

ハーモニカを3種類吹きこなす。



祖父は、昔は母と叔父にかなり厳しい人だったらしい。

今ではすっかり丸くなっていて、レーシック手術を終えて眼鏡をかけなくなってから周りに「顔がこわい」と不評だ。

兄弟がたくさんいるなかの次男で、田舎あるあるだと思うのだけれど、本家の長男が早朝突然家に入ってきたりする。



祖父は定年退職後、四国を歩き回ってきたり、趣味の古文書の読解を図書館に寄贈したり、人付き合いも多く、なんだかすごい人なのだと思う。

それでもわたしにとっては「じいちゃん」で、特に昔は一緒にお風呂入ろうとかかなりしつこく言われた。(特に酔っ払うと絡むし、めちゃくちゃ拒否して悲しい顔をさせていた)

わたしが屈折しているところもあるかもしれないけれど、わたしのことに関して祖父は不器用というか、どう接していいか分からないのだと思う。

他人の話だったら受け入れられなかったり、他人事で済ませていたかもしれないことも。

最初は父と母の不仲が原因かとか、なにかのせいにしたかったりしたかったらしいが、そこは祖母の一喝で何も言わなくなったらしい。

近くない所に住んでいるので、そもそもそんなに頻繁に会うこともなく、己の中では葛藤があったらしいが、やっぱり「孫」が勝ったらしい。



そんな、孫だ。




この先並な道ではないかもしれない

自分で決めたことを正しいと感じたり正しくないと感じたり

自分の技量や他人の力

科学や先進技術を以てしてもまかり通らないこと



何かに途方に暮れた時、できうる限り助けに



血縁がなくて、見たことも会ったこともなくて、直接なにができるわけでもない

金銭の援助もできない

ただの偽善、エゴ、いい人ぶりたい

そんなふうな捉え方をされるかもしれない


でも、不思議な距離感で、頭ごなしに否定はしない
その時々に、やっていく、考えていくヒントになるような言葉をあげたい

自立できるように手を離す、奮い立たせるために叱咤するではなく

またいつでも頼っておいで、と


齢80や90の方々からしたら、わたしなど本当にまだ生まれたてと変わらないくらいの経験値なのだろう

先人をお手本にしつつ、わたしも不器用な爺として、ほのかにうっとおしいと思われつつ、余計なお世話未満、孫を慈しんでいきたい。

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