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特撮の成長と庵野秀明の成長-シンウルトラマン-

 シンウルトラマンについて語る時が来た。月曜日に観たがイマイチ言語化する気にならず放置していた。このままだと記憶を失いそうなので、書いておくことにしよう。

 ぜんっぜんだめ!しーんじらんない。。

 原作のリスペクトがあるのは重要だと思う。技術が発達して特撮の良さが消えるとそれはウルトラマンでなくなると思うしだから今のウルトラマンもスーツアクターがいるはず。でもCGじゃね。人間に出せない、出せるわけのない動きもしていたがそれは原作へのリスペクトという以外に説明がつかない。にせウルトラマンをチョップして痛がるシーンもあれは中に人がいるというリアルが生み出した偶然の産物でそれが逆に別のリアリティに繋がったわけだ。それをCGで再現することは微笑ましいだけ。カラータイマーとか視覚確保の穴を消したのにね。これはウルトラマンファンではない者の意見であるから悪しからず。

 その時代の設定を最大限尊重して理由づけするうまさは例えばネロンガというネーミングは防災大臣のセンスにしたりとか、変身シーンを多種多様にみせて原作のバンクシステムをクライマックスで活用して盛り上がりを作ったり。これなんかは白眉の格好良さだ。

 俳優を起用しているからこそアニメらしい演技が逆に寒く感じる。『帰ってきたウルトラマン』の素人演技の方がよっぽどサマになっている気がする。中盤から慣れてくるが、早見あかりや長澤まさみ、有岡大貴はクセが強い。言ったことないよそんな台詞という感じがめっちゃしてキツい。

 長澤まさみが自分や斎藤工のケツを叩くというのもアニメっぽいのだ。セクハラという以前にノイズでしかない。そんな人間は現実では見たことがない。石井克人も含めて、そこは評価するべきかもしれない。感覚的にそこに追いつけていなくて、嫌だなと思ってしまう。巨大化した長澤まさみの顔も感情表現豊かな普段から催眠状態の対比が笑ってしまう。スーツのまま巨大化するのもスーツ姿のせいでビル群とうまく釣り合っていない。これも『スマグラー』の安藤政信の蜘蛛歩きに通ずるものがある。逆に斎藤工がザラブ星人に捕まりながらも手がかりを残す感じとか、『野生の思考』をめくるだけで読めるとかそういう細かいディティールね、そこもアニメっぽい。というかフィクションだね。実写との違和感がないからグッとくるが。

 ウルトラマンを見て恍惚とする表情も輝くものに目がない女性というテーマの真珠貝防衛指令のオマージュなのか。一種のフェティッシュは感じるが。

 風呂に入っていない長澤まさみのにおいを嗅ぐシーンも変態行為と言及させることで正当化する開き直り方、宮崎駿の『紅の豚』をパンツ一枚脱ぎきれていないと批判していたが、スッポンポンになって「だって変態なんだもん、しょうがないじゃん!」は旧劇でアスカに「気持ち悪い」と言わせた頃と変わらないのでは。宮崎駿のパンツを否定した以上、自らはそうせざるを得ないという論理の道筋はわかる。しかもここを批判すればそもそも庵野秀明という作家性をウルトラマンで起用することを否定してしまう。だが庵野秀明にウルトラマンを渡してはいけなかったのではないか?エヴァンゲリオンはウルトラマンへのオマージュがありながらも庵野秀明の作家性が輝ける世界観だったと思う。

 個人的に上記の変態性は庵野秀明の長所だと思っているが、ウルトラマンで、かつ実写で、エンタメとして消費するのは難しいように思う。円谷プロもそこは期待してないのでは?

 ウルトラマンの世界で変態性はそれこそにおう程度で(楽しみの実相寺昭雄は初代では6話しか監督してないしセブンでも干されてしまったらしいし)、シンウルトラマンは庵野秀明の作家性が強すぎるのにウルトラマンへのリスペクトと拮抗してしまってどう評価すればいいのか答えに詰まってしまう。どちらも欠けているわけではないのがムズカシイ。『帰ってきたウルトラマン』が素晴らしいのは作家性が確立されきる前にオマージュを捧げた作品だったからではないか?

 スクリーンの向こうでミニチュアのウルトラマンを掴んでビュンビュン飛ばしている庵野秀明が見える。シンエヴァンゲリオンで第三新東京市のセットが崩れていくのと同じだ。そしてコレがいいのか悪いのかはやっぱり測りかねる。純粋に当時の子供たちと次の世代の子供たちとの架け橋にもみえるだろうから。ミニチュアの飛行姿をCG化したのもやっぱり意図してそのスクリーンの裏の庵野秀明を想像させるためとしか思えない。当時の子供たちはオモチャでそれをしたのだろうし、今の子供が大人になればそれはCGで再現されたウルトラマンを動かしたりするのかもしれないわけだ。

結末も原作をうまくなぞったのだろうけど、あまり人間の結束!とか興味ないだろ〜。シンゴジラはそういう部分(震災からの復興を絡めた感じ)も面白かったけど、そこの思想性は全然ないなと思う。人間への怒りというものに対してね。とことん内向的だろう。ウルトラマンの思想を描くのに、庵野秀明の興味はウルトラマンへの恍惚に集中しているのでは。

 結局どっちつかずな感想になった。もう一回観ると大絶賛かもしれない。なにしろ、庵野秀明を理解できない俺が悪いのだという思考になってしまっている。庵野秀明がどれだけ指揮権を持ったのかもわからないし。ただ出来のいいコドモの良作を観せられ、よくできたねと褒め称えるような観方をするのは自分自身なるべく避けたい。

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