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【書評】インベカヲリ★著 私の顔は誰も知らない

インベカヲリ★著 私の顔は誰も知らない

 お気に入りの喫茶店で献本していただいた「私の顔は誰も知らない」を読みながらふと思い出した。そういえばここでインベさんにお話を聞いてもらったのだ。

 わたしはインベさんに撮影してもらったことがある。その写真を見て友人が「野生動物のようだ」と言ったことがあった。山登りの際、突然出くわした野生動物のように、怯えた目で表情をこわばらせ、かたまっている。それが面白いと言った。そう言われて見返してみると、確かに。どのショットも表情は固まり、静止している。
 インベカヲリ★さんの著書「私の顔は誰も知らない」の冒頭にこんな文章がある。

ほとんどの女性は、長い時間をかけて自分の話をするという経験がないため、初めて人に打ち明けるという話も出てくるし、喋りながら自分の本音に気づくということもある。そうした経過を経て撮影に入るので、写真に写る姿も普段とは違う。どれくらい違うかというと、個展会場に本人が現れても、周囲の誰もそのことに気づかないということがしばしば起こりうるくらいだ。写真の中で表現したい自分と、日常生活で見せている自分が、それほどに違うということだろう。

10P

 わたしの場合はどうだっただろう。写真の中で表現したい自分というよりは、そのまんま本性が出てしまったのではないだろうか。

「排毒」より 撮影:インベカヲリ★

 わたしのことはさておき、本書はたくさんの女性へのインタビュー、そしてインベさん自身の話で構成されている。
 普通を演じていて本当の自分がわからないという蘭さん、人間らしい生活を演じているというアッコちゃん、衝動が抑えられない性格が薬を飲んで変わったムム子さん、東京に住む人は街を盛り上げるパフォーマーだという日和ちゃん、物を捨てて擬態することがなくなったコケシちゃん、自分は本当は人間じゃないと思うことで救われているというXちゃんなどの女性たちの話もさることながら、わたしが特に面白く感じたのは、インベさんの話。インベさんの就職した会社でのエピソードやティラピスに通っている話、フリマアプリの話などから垣間見えるインベさんの姿、それに、写真家としては珍しい、ホームページに写真を掲載するところからスタートして、コンペよりも個展をすることに重点を置いて活動し、評価されたインベさんの作家としての姿がとてもかっこいい。私自身アーティスト活動を続けていて、35歳をすぎて応募できるコンペが少なくなったことに嘆いていたことが恥ずかしい。。。インベさんは誰よりも自分自身が自分の作品のファンだという、そこが信頼できる。もしも作家自身が作品に自信がなければ被写体になる女性は不安になるし、それは鑑賞者にも伝わる。インベさんが制作を楽しんでいて、自信を持って送り出しているからこそ、多くの鑑賞者の胸を打つ作品が届いているのだと改めて思った。


 最後に、2018年頃に書いた文章も転載しておきます。

「捨身(しゃしん)」

 小さい頃、高いところから飛び降りるのが好きだった。
階段の一番上から、ブランコの高いところから、裏山を削って作られた、宅地造成中の区画に向かって、家の塀に登ってよく飛び降りていたけれど、大人になった今見ても裏からうちを見上げたら相当な高低差があった。高いところから飛び降りるときはいつも、自分は絶対怪我しない、と思っていたし、実際怪我したことはなかった。
 弘法大師空海の数ある伝説のひとつに「捨身ヶ岳」のエピソードがある。お大師さんがまだ7歳のころ、名前が佐伯真魚ちゃんだったころ、
「もし私が衆生を救えるなら、お助けください。そうでないなら死にます」
 的な事を言って断崖絶壁の頂から飛び降り、そこに天女がしゅっと現れ飛び降りた真魚ちゃんを抱きとめて「一生成仏」と言った、というお話。わたしはこのエピソードがすごく好きだ。

 インベさんの写真を見て、そして実際に被写体となってみて、このお話を思い出していた。なんでこんなことになるんだろう、というようなむちゃくちゃな事態に自ら進んでしまう時、それでもなんとなく自分は大丈夫だと思っている気がする。
やけくそになっているわけでなく、わりと冷静に断崖絶壁から身を投げる私たちに、インベさんは向き合う。大抵のことに救いなんてないし、抱きとめて「一生成仏」と言うわけでもないけれど、でもやっぱり、インベさんの作品を通して、なんらかの救いを感じる人は多いと思う。被写体となった人も、写真展に足を運んだ人も、写真集を手に取った人も。

 インベさんの写真とその行為は、唯一無二の表現世界を通して、捨身ヶ岳から飛び降りるわたしたちをインベさんの意思とは関係なく、救済している。だからわたしたちは衆生を救うのだ、とか言えたならかっこいいかもしれないけれど、わたしはお大師様でもないし、インベさんも天女ではないし、救われたと言ってもその先に極楽浄土があるわけでもなく、元居た場所にただ降り立つだけで、ちょっと負傷しながらやはりこの社会を生きて行くのだけれど、それでいい。

 わたしははじめてインベさんの作品を見たとき、いったいどうやったらこんなシチュエーションが思い浮かぶのか、一目見たら忘れられないような写真に心を捉えられて、添えられた文章を読んで、ますます引き込まれた。写真集やホームページを見て、見れば見る程その疑問は膨らんだ。そして実際に被写体として、インベさんの制作を間近に見て、インベさんのスーパークリエイティブな創造力に度肝を抜かれた。インベさんは淡々とわたしの話を聞き、ほーとかへーとか言いながら、絶対に否定することなく話を聞いて、そしてその数時間後にはもう、こういうシチュエーションにします、という連絡がきて、そのスピードにも驚いた。

 撮影もまた淡々としたもので、ほんとにこれでいいのかな、と思いつつも、仕上がった写真を見るとやっぱりインベさんの作品独特の世界になっていた。インベさんは被写体の女性に対してとても誠実であり、わたしの場合4時間近く話したのだけれど、その脈略も無い下手な話の中から核心を見抜く力というか、とにかく話を聞くのがうまい。
 わたしは人の話を聞くのが本当に苦手で、それでこの人は何が言いたかったんだろう、と思う事がよくある。だからなんとなく、インベさんと実際にお会いするまでは、たくさん話しても些細な事だけれど重要だったことなんかは抜け落ちるんだろうな、と思っていた。
 だけどそんなわけがなかった。インベさんの作品は、そういう見過ごしてしまいそうな些細なことをとても大切にしていると思う。それはきっと、写真にしかできないことでもあると思う。
 インベさんが写真を表現方法としたことが必然だったのか偶然だったのかは知らないけれど、一瞬を写す写真だから、抜け落ちることなく些細だけれど重要なことを目に見えるものとすることが出来るのだろうし、断崖絶壁から飛び降りるものたちのその一瞬の様を見る事が出来るのだと感じた。

「排毒」より 撮影:インベカヲリ★


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