見出し画像

「鮭の遡上」

「鮭の遡上」

 寝ているとき随分汗をかくと思ったら涙だった、床が涙で濡れて小さい水たまりが出来ていたんだけど、汗も涙もしょっぱいから海、ちっさい海が出来てたの。
 ちゃんとベッドの上で寝たはずなのに床の上で目が覚めて腰がバキバキでいたかった。もうすっかり、四半世紀前に失われた腹筋の代わりにベッドのあしを掴んで必死によじ登って、寝ぼけながらもちゃんとベッドで寝たはずなのに朝目が覚めるとまた床の上だった。これはあれだ、昨日打ったワクチンの新手の副反応に違いない。おまけに打った方をかばって右腕を下にして寝たから、打ってない方の腕がいたい。いたいよういたいよう。
 それにしても泣きながら眠るのは危険なことで、泣いて鼻が詰まって危うく窒息死するところだった。それに鼻が詰まったら川に帰れなくなると聞いたことがある。


 鮭は川で孵化し、雪解け水と共に海に出る。海を回遊して青年期を過ごして、三年から五年の月日が経ち成長した鮭は思い出したかのように川に帰ってくる。流れに逆らって川を登り、道中パートナーを見つけ、ペアとなった二人はやがて丁度いい感じの川床にたどり着きメス鮭は産卵、オス鮭はすかさず放精、めでたく繁殖を終えると一週間から十日ほどで死去、受精卵は一ヶ月ほどで孵化、そして雪解け水と共に海へ……というサイクル。鮭はなぜ生まれた川に戻って来ることが出来るのかというと、一説には匂いを記憶しているからだ、という。

 私はこの鮭のサイクルに関して、腑に落ちない点がいくつもある。まず、産卵のために川に帰るというのなら、そもそも産卵するつもりのないメス鮭はどのような一生を送るのだろうか。もしくは産卵する気はあるものの「里帰り出産しない派」は現れなかったか。または、私のように鼻が詰まって帰る川が分からなくなったアホの子。道中パートナーが見つからなかった鮭はしれっと海に戻るのか。川まで行ったもののダムかなんかになってて川床が無くなって「川どこ?」状態の鮭はどうだろう。
 鮭の生体については小学校の理科の授業で習った覚えがある。もしくは、国語の教科書で「母なる川へ」のような文章を呼んだ気がしないでもない。その時もダムの建設などの環境破壊によって帰る川がなくなった場合だとか、環境ホルモンによって繁殖行動に異常を来す等の話も聞いたのかも知れない。


 わたしはあなたの匂いが好きで、同じ石鹸を今も使ってる。牛乳石鹸はいつの頃からか、牛の絵の刻印ではなく「CAW」の文字が刻まされているだけのちゃちい姿になってしまって私はがっかりしてるんだけど、あなたはそのことに気が付いた?それとももう違う石鹸を使っているのかな。本当のことを言うとあなたのTシャツの襟ぐりの匂いとか首筋の匂いが特に好きだったんだけど、あれは川床じゃないのかな。筆舌し難いのだけれど、わたしは記憶しているよ、あの匂いを。

 鮭は繁殖を終えて死ぬまでの間どう過ごしているのだろう。繁殖後すぐに死ぬ印象があったけど、考えてみたら五年の人生のうちの一週間は人間の人生に当てはめると四ヶ月くらいはある。丁度いいね、と思った。

 自分が作った麦茶は生臭い気がして美味しくないのは何故なんだろう。
 本当のことを言うともうあの匂いがよくわからなくなった。あれからずっと匂いがしないんよ、わたし。



◎パフォーマンス情報

「右心室・左心室」

日時
2021.10.2(土)16時スタート
雨天延期

出演 安部寿紗、s

開催地
横浜市中区初音町1-18-5
ハツネウイング
(かいだん広場からご覧いただけます)

※展示空間ご鑑賞には会期中有効のフリーパスが必要となります。受付でご購入頂き、検温、アルコール消毒などを行ってご鑑賞頂けます。
詳しくは「黄金町バザール2021」リンクをご覧ください!

https://koganecho.net/koganecho-bazaar-2021/


当日、パフォーマンスはInstagramライブ配信を行います。
https://www.instagram.com/kazusa_abe/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?