10代から20代の初め頃、美輪明宏のファンだった。 中学生の頃にコンビニに置いてある無料のチケット情報誌で、「毛皮のマリー」の写真を見た時から、こんな世界があるのかと憧れていた。当時の私にとっては、舞台を観に行くというのは未知の世界でまだハードルが高かったので行動に移せず、結局「毛皮のマリー」は一度も観たことがない。 本を読んだり、大人になってからはコンサートや舞台「黒蜥蜴」を観に行ったりした。 物事を俯瞰で見ること、人生における正負の法則、逆境に絶対屈しない心、感情に支配さ
虎視タンタ・ターンみたいに言った(書いた) 最近はNetflixでハリー・ポッターシリーズが配信されているので、既に何度も見たけど改めて見ている。賢者の石から順番にではなく、最新作(ファンタビの3作め、マッツが出演)から順に遡ってて、その方がわりと、なるほどねー!あの時のあれねーッ!と理解しやすかったりする。 それと並行して、Disney+でスターウォーズシリーズとMARVELシリーズも少しずつ見てる。公開順に見るのがいいらしいからそうしてる。なんとなく今まで敬遠してたけ
シーズン2に志磨遼平さんが出ていることを知ったので、年末年始でシーズン1から通しで見ました。 こういう日本が舞台で日本人が演じている、極限状態でのデスゲームもの?って見ていると何となく恥ずかしくなってしまう。 これは高校生の頃に流行ったバトルロワイヤル、バツの制服…などの記憶によるところが大きいと思う。 あと、物流とかインフラ、トイレや風呂や歯磨きとかメイクとか生理とかどうなってるんや、という本筋と違うことが気になってしまって…(これは最終話まで観て納得しました) 土屋太鳳
本家アダムスファミリーを見たことがないけど面白かった。 中学生の頃に観てしまっていたら、憧れて真似して黒歴史量産してしまっただろう。危なかった。 主役の女優さんが往年のV系の誰かに似ているとずっと気になってるけどそれが誰なのか思いだせなくて、でもその往年のV系の誰かは現在確実におっさんなので、思い出したところで…と思って考えるのをやめた。 校長先生、どこかで見たことあると思ったら、ゲームオブスローンズのブライエニーの人だった。 タイラーの好意は全て操られてた結果なのか本来の人
小学生の頃に心血を注いでいたスーパーファミコンのMOTHER2というゲーム、またやりたいなーと言い続けていた。 夫がSwitchの画面を見て突然アッッ!!!!と言ったので何かと思ったら、オンライン?の何かでMOTHER2がプレイできるようになったらしい。 その日から毎日、寝る前に少しずつ進めたり、休日は2時間ぐらいプレイして、攻略サイトも見まくって、3週間ほどでクリアした。 子供の頃は攻略本読んでても何ヶ月もかかってたような気がするが…今の方がやるべきことははるかに多く、時
ビートルズ「GET BACK」のルーフトップコンサートを映画館で見た。IMAX初体験。 冒頭は結成からの歴史のダイジェスト版が流れる。 金網を揺さぶり狂乱する若い女性、泣き叫ぶ少女、失神して運ばれる中年女性。 その全てに「私やん」と思った。全て、私だった。この時代この国に生きていたら確実にこれをやっていたと断言できる。 肝心のルーフトップコンサートは、まず屋上の防水仕様が気になり(何人もの人が歩行し、機材とかも置くので)足元ばかり見てしまったが、なんか木材敷き詰めてデッキ
「推し」という言葉が浸透して、かなりの年数が経過した。 推しが人生における活力の源だったり、行動の理由全てが推しだったりする人もいれば、この中ではこの人が好きかな~ぐらいのノリで「推し」と表現する人もいて、推しの定義は様々だ。 私の場合は、便宜上「推し」という表現を使っていても何となく違和感を覚えている。 「私の」「推し」と呼び、家族や友達、恋人、配偶者、先輩後輩、上司など相手の立場と関係性を表す言葉のように「推し」を使うことで、対象に勝手に立場を、そして自分と対象の間に勝