父と一緒に煙草が吸いたかった
毎年父の日が近づいてくると、父のことを思い出す。
僕の父は5年前の6月19日、父の日の3日後に他界した。僕が大学1年生の時だ。
授業中にスマホをいじっていたら、母から電話が来た。
いくら物忘れが多い母でも、僕が大学生で、授業の真っ只中であることくらいは知っているはずだ。
さすがに出られないのでメッセージを送る。
「どうしたの?授業中なんだけど」
すぐに既読がついた。
「お父さんが石川県で亡くなった。すぐ帰ってこられる?」
全く意味がわからない。
父は確かに金沢に単身赴任中だが、二週間に一度くらい群馬に帰ってきては僕と弟をゲームセンターに連れて行ってくれていた。まあ僕らを遊ばせておいて麻雀のゲームに勤しんでいたけど。
というか、3日前、父の日に帰ってきてたじゃないか。3日前に僕と味噌ラーメンを食べてたじゃないか。
確かに数年前、糖尿で少し入院していた時期はあったけど、普通に退院してピンピン働いていたんじゃないのか。
メッセージを何度読み返しても、意味は分からないままだ。
当時を思い出すと、膝のあたりがガクガクする。だって、何の予兆もなく「父親が死んだ」から始まるLINEがあってたまるか。
それでも、嘘というわけでもあるまい。
とりあえずよく分からない感情のまま、壇上で授業をしている教員に「父が死んだ?らしいので帰ってもいいですか…?w」と変な表情で告げ、家に帰った。
どうやら本当に、死んだらしい。
心筋梗塞による急死だそうだ。
母は忙しそうに電話をかけまくっていた。
通夜の記憶はない。
告別式はよく覚えている。
人が来すぎていて、告別式の部屋に入りきっていなかった。僕は長男だったので、お別れの言葉を考え、一段高いところから発表した。
父の顔が、白い棺桶の中で眠っている。
この時は、「ああ、もう起きないのか……」などと思っていて、変に冷静だった。身内が亡くなるってこんな感じなのか、と
じきに火葬され、父が灰といくつかの骨のかけらになってしまった。
それを家族が、骨壷に、ひとつひとつ、トング的なもので納めていく。
「こんなものになっちゃって…」
母がつぶやいた。
この瞬間に、父は灰になった、死んだのだ、もう喋ることはできないし、ゲームセンターに連れて行ってくれることもないし、僕の選択に怒ってくれることもないし、褒めてくれることもないし、僕がそろそろ取れる免許でどこかに連れて行ってやることもできないし、一緒に酒を飲むこともできないし、年始に家族で遠出してホテルのテレビでお笑い番組を見ながら「この芸人つまんね〜」って盛り上がるやつも二度とできないし、僕がこれから何をやっても、それを父に伝える手段はないのだと、思った。
父は、適当な人間だった。
仕事では年齢相応の役職には就いていたようだが、そこそこ異動や転職をしていたようで、いわゆる「すごい父親」ではなかった。家計に余裕があったとも言い難い。
酒は飲まないけど喫煙者だし、全く家事なんかしないし、分かりやすいところにエロ雑誌を隠してるし、テレビで麻雀の番組ばかり見ていた。
ただ、
僕が中学の時に数学の教員から暴言を吐かれて泣きついた時は学校に文句を付けに行っていたし、僕がバイト先で労働時間を誤魔化されていると伝えた時は店に乗り込んで店長とバトルしていたし、僕が高専に合格したときは、それはもう本気で喜んでいた。
しかし僕は高専で落ちこぼれ、辞めたいと漏らした時は怒られた。そりゃそうだ。
僕は結局辞めてしまって、高卒認定試験を受けて大学に入学した。
入学して2ヶ月経ったころ、父の日、単身赴任していた父が群馬に帰ってきて、2人で近くのラーメン屋に行った。そこで、
「まあ、大学に入れたから良かったよ。お前がこれから何をするか、楽しみだよ」
と、久しぶりに褒められた。
これまで、高専を辞めたことで負い目を感じていたこともあって、数年ぶりに父が僕に期待をしてくれたことが分かって嬉しかった。
そろそろ免許も取れるし、家族を乗せて、今度は僕の運転でショッピングモールとかに行けちゃうのだろうか。そろそろ20歳だし、父と晩酌を交わすなんてことができちゃうのだろうか。みたいなことも、ちょっと頭をよぎった。
その3日後に受信したメッセージが「父が死んだ」。
ああもう、何なんだよマジで。
父は死ぬ間際、なんとか救急車を呼んだものの、隊員が着いたころには玄関で倒れていたそうだ。
また、直前に「胸が痛い 救急車」などと検索していたこともわかった。検索する前に救急車呼べって。変なところでプライド出すな
やっとこれまでの父の説教の意味が分かってきて、家族がまだ僕に期待をしてくれていたことが分かって、じゃあ頑張ってもいいかな、って思ったタイミングで、死ぬなよ。
ずっとリビングにいて半ば「うぜ〜」と思っていた父親が単身赴任したせいで、ちょうどいい距離が保ててきたところで、死ぬなよ。
5年経った今日、奇しくも「父の日」と「命日直近の日曜日」が重なり、父に線香をあげてきた。
名前は変わってしまったけど、父の好きだったマイルドセブン・スーパーライトを墓に供えた。
今年24になる僕は、父の後を追うようにしっかりと喫煙者になってしまった。
父から貰ったものを、ひとつでも受け取った、ということを伝えたかった。
父と一緒に煙草が吸ってみたかった。
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