一木けい

1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年、「西国疾走少女」で第15回「女によ…

一木けい

1979年福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年、「西国疾走少女」で第15回「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2018年、受賞作を含む単行本『1ミリの後悔もない、はずもない』(新潮社刊)でデビュー。現在、バンコク在住。*イラストはウェブでの試し読み版限定

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最上もが「つらすぎて人に薦められない」作家との対談でぶっちゃける 最上もが×一木けい

椎名林檎さんの推薦文で話題の小説『1ミリの後悔もない、はずがない』を読んで号泣したという最上もがさんと著者の一木けいさんが、小説をきっかけに思い出した恋愛について、記憶を消したいほどの出来事について、幸せを感じられない生きづらさについてなどについて語った対談の後篇をBook Bangで公開中です。

    • 最上もが「あの頃の記憶はできれば全部飛んで欲しい」 最上もが×一木けい対談

      椎名林檎さんの推薦文と共に注目を集めている小説『1ミリの後悔もない、はずがない』を読んで号泣したという最上もがさんと著者の一木けいさんが、つらすぎる恋愛について、ボロボロ泣いたという小説のラストについて、幸せを感じられない生きづらさについて、記憶を消したいほどの出来事についてで語り合いました。 Book Bangにて無料掲載中です。

      • 西国疾走少女 1

         イカの胴体に手を突っ込んで軟骨をひっぱり出した。粘着質な音が響いたわりに水分は流れてこない。残っている内臓をこそげ出そうと、もう一度手を差し入れた。あれ、と思う。ざらりと手に吸い付いてくる感触。軟骨は取り除いたはずなのに、そこにもうひとつ硬い何かがある。強くつかんで、一瞬ためらった。不安の波が押し寄せる。いったい何が出てくるのだろう。  ひと息に引いてみる。  ずるりと引きずり出したものには、目玉がついていた。肌が一気に粟立つ。とっさに手放したそれが、シンクにごろんと転

        • 西国疾走少女 2

          2 中二の三学期は、幕開けからして気の滅入るものだった。始業式に桐原は欠席で、さらに、家に帰るとポストに茶封筒が入っていた。差出人は聞いたこともない地名の役所。いやな予感がする。みぞれ混じりの雨が運動靴の先端を濡らしていた。 「ただいま」  声をかけると、せんべい布団の中で漫画を読んでいた妹の梢(こずえ)は目だけこちらに向けて「うん」と言った。毛布と敷布団の隙間から、こもったような甘酸っぱい匂いがする。畳には取り込んだ洗濯物が何かの巣のように山になっていて、シンクには、濡

        最上もが「つらすぎて人に薦められない」作家との対談でぶっちゃける 最上もが×一木けい

          西国疾走少女 3

          3 試験前にはすこし遠回りして帰った。中三に上がって急に数学が難しくなった。公式の導き方がよく理解できないと話すと、桐原はガードレールに腰掛けて、ノートに記しながら説明してくれた。薄い、整った筆跡で。ブレザーの袖口から見える桐原の手首は、外側の骨がぼこっと出ていた。破って渡してくれたそれを、わたしは筆箱に大切にしまった。  桐原が立ち上がると、わたしに当たる太陽の光がすくなくなる。 「背の高い人は、いっぱい寝ないといけないんだって」 「へえ、知らなかった」 「昔うちの

          西国疾走少女 3

          西国疾走少女 4

          4 夜の駅に立っていても、桐原はくっきりと際立ってうつくしかった。二学期のあいだに、桐原はさらに背が伸びたようだ。会えた瞬間、家を抜け出すときの緊張が吹っ飛んだ。 「さむいね」とわたしは肩で息をしながら笑った。夜に会うのがはじめてで、照れくさかった。 「なんでそんな薄着で来たの」笑いながら言って、桐原は着ていたジャンパーを脱いだ。トレーナーのそでがめくれて、腕時計が見えた。黒くてごつごつした、重そうな時計。  着せてもらったジャンパーは、軽くて温かかった。ほんのり香水の

          西国疾走少女 4

          西国疾走少女 5

          5 自分だけ幸せではいけないような気がして、父に会いに行った。バス停まで迎えに来てくれた父は、想像よりふたまわり痩せていた。目がぎょろりと飛び出て、頬骨が高い。首には毛羽立ったタオル。汗なのか、酸っぱいような妙な匂いがした。  電灯の紐を引くと、心もとない光が四畳半を照らした。畳にマイルス・デイヴィスのCDとジョン・グリシャムの小説がちらばっている。ちゃぶ台の上には英字新聞。マグカップの跡が丸く残っている。室内に酒はなく、父ものんでいないようにふるまっていた。けれどわたしは

          西国疾走少女 5

          西国疾走少女 6

          6 卒業式にはつめたい雨が降っていた。夕方にいったん上がったが、夜、西国分寺駅へ向かっているとき、再びぱらつきはじめた。降りだしはやわらかく絡みついてくるような霧雨だったのが、走っているうちに一気に勢いが増し、激しい春の嵐となった。  バシャバシャと水の音を立てながら、わたしはどしゃ降りの中を走り抜けた。傘も差さずに、髪も服もずぶぬれで、息を切らしてアスファルトの坂道を駆け下りた。楽しかった。桐原に会うために疾走しているときはいつも、命を生き切っているという実感があった。

          西国疾走少女 6

          西国疾走少女 7

          7  電話が鳴って、わたしは現実に引き戻される。いそいで手をぬぐって、通話ボタンを押す。「ちょっと疲れたから電話してみた」と夫は言った。「今日の晩メシ何?」 「ちらしずし、はまぐりのお吸い物、茶碗蒸し」 「おっいいね、ひな祭りっぽいね」 「あとはイカ大根。大学芋も作るよ」 「うわー、今すぐ帰りたい。仕事が多すぎるよ。もう明日の僕に頑張ってもらおうかなあ」 「ねえ、イカのなかに魚が入ってたのよ」 「えっ、なんの魚?」 「知らない。もうすてちゃった」 「なんですて

          西国疾走少女 7