#0002【井伊家について(日本、16世紀以降)】

こんばんは! 1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今日は、今年の大河ドラマの主役である井伊直虎(なおとら)にちなみ、井伊家を取り上げます。

井伊家は、戦国時代に遠江国(静岡県西部)に領地を持っていましたが、東海地方には強力な大名たち(今川家や織田家)が割拠しており苦難の道を歩みます。

特に桶狭間の戦い(1560年、(勝)織田信長VS(負)今川義元)では、今川方にいた井伊家の当主直盛(なおもり)が討死してしまう不運に見舞われます。

更にその跡を継いだ直盛の息子、直親(なおちか)も今川家への謀反を疑われ、今川家の手によって1562年に殺されてしまいます。

残された直親の息子、直政(なおまさ)はまだ赤ん坊でした。

ちなみに先祖代々、名前に受け継いできた漢字を「通字・系字(行系字)」といいます。井伊家の場合ですと「直」の字がそれにあたります。他の例としては足利幕府将軍家の「義」や天皇家における「仁」の字などが当てはまります。

一方、中国・韓国でも同じ一族で共通の漢字を使う習慣がありますが、こちらでは逆に兄弟、いとこ関係の同世代で同じ字を用います。たとえば、中国ラストエンペラーの名は「溥(ふ)儀」といい、その弟の名は「溥傑」といいます。日本の行系字に対して「列系字」といい、名前に入っている字を見ることで、どの世代かが分かるというメリットがあります。

話を井伊家に戻します。

まだ赤ん坊だった直政の代わりに、彼の叔母にあたる井伊直虎(男性説あり)が当主となり、幼い直政を守り育て、井伊家を支えます。

直虎は、今川家に痛い目に合わされたこともあり、主君を今川家から徳川家康に乗り換えます。これが井伊家が飛躍する転機となりました。

徳川家は今川家を滅ぼして東海地方に一大勢力を築きます。その過程で井伊家も順調に領土を拡大していきました。

直虎が1582年に死去し、井伊直政が当主となった後には、軍事と外交の両面で抜群のセンスを発揮し、徳川四天王と呼ばれる程の活躍をみせました。

徳川家が天下を取った江戸時代になると、井伊家は徳川幕府の譜代大名(政治の中枢を担う大名)で最大の彦根藩(滋賀県)35万石を領地にもらいました。

ここは関西から東に向かう際の通り道ですので、元々徳川家に敵対していた大名が多い関西以西を牽制するという軍事面での重要な役割を担っていたのです。

政治面でも井伊家は老中(常設の一番偉い役職)を多数輩出し、幕末には有名な井伊直弼(なおすけ)が大老(臨時職で老中より上)となり、アンチ徳川幕府の人々を弾圧しました。

しかし、そんな彼も桜田門外の変(1860年)で暗殺され、井伊家は政治混乱を起こした責任を取らされて領地を25万石に減らされました。

その後、明治維新(1867年~)では徳川幕府を見限り新政府軍につきます。この結果、井伊家は華族(第二次世界大戦前の貴族)の一員となり、明治・大正・昭和と脈々と続いていきました。

華族制度がなくなった第二次大戦後には、直弼のひ孫である直愛(なおよし)氏が、彦根市長を9期36年(1953年~1989年)も務めていました。もちろん、選挙での当選を通じてのことです。

井伊家の大本に迫る今年の大河ドラマ。期待して見ていきたいと思います。

以上、本日の歴史小話でした!

米国・日本と来たので、金曜日は英国からチャーチルに登場してもらいます。

========================

発行人:李東潤(りとんゆん)

連絡先:history.on.demand.seminar@gmail.com     twitter: @1minute_history

※本メルマガの著作権は李東潤に属しますが、転送・シェア等はご自由に展開頂いて構いません。

※配信登録希望者は、以下URLをご利用ください。 http://mail.os7.biz/b/QTHU

========================

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?