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「粛」の字の力強さ

今年の漢字、有力候補の一つである「粛」の字についてですが、元々見ることはあっても、なかなか書く機会に乏しい漢字ではないでしょうか。

せっかくなので、この漢字の成り立ち、原義的な部分を白川静先生の漢字学に基づいて、僕の見解をご紹介したいと思います。

「粛」という字の中には「お米」が入っています。
なので、「農業とかに関係するんだろう!?」という予測が立ちそうですが、これは旧字を書きやすくするために簡略化されたものです。

すみません、お米関係ないんです。

元々の字形は「肅」です。
ちょっと小さくなって見づらいですね。

分解すると
上部が「筆」のタケカンムリ除く下側の字形
下部が「淵」のサンズイを除く右側の字形
で構成されています。

上部は、他にどんな漢字に使われているでしょうか。
「書く」という漢字に共通部分がありますね。

次に、「肅の下部」の部分は、「描かれた円などの模様」を表しています。「彫刻刀で削った跡」をイメージして頂けるとよろしいかと。
(ややこしいのですが「淵」と「肅」の共通字形はそれぞれ別の成り立ちをしています。「淵」は川の流れが旋回する様です。)

なので、「肅」とは、もともと「模様を描く、彫り込む」という意味が込められているのです。

それでは、この「模様を描く」とはどういったことなのかというと、何気ないものなどに「文様を施して聖化すること」を表しています。

聖化することから、うやうやしいという「粛敬」という意味が出てきて、
「厳しい」や「厳か」といった「厳粛」といった意味合いが出てきました。

また、音の「シュク」は「縮」に連なり、「縮こまる」という意味合いも含まれています。
たとえば、神々しい仏像の前で身体が縮こまってしまう様子ですね。

そう、現在使われている「自粛」は、この「自縮」だけの用法で用いられているように僕は感じているんです。

もちろん、このタイミングでは「縮こまること」がとっても大切です。
でも、「肅」の字の原義に立ち返ると、それだけでいいのかというと、それだけではいけないんだと思います。

ただ縮こまるだけでは不十分だと言えると思うんですよ。

「自粛」において、やるべきことは、ただ縮こまるだけではなく
「自分に施すべき文様を自らが決めて彫り込むこと」
だと思います。

すなわち「自分をしっかりと律して、できることをきちんとやる」。

たとえば、「人と極力会わない」ということについても、ただ縮こまって会わないということを決めるんじゃなくて、
「会わないという行動の意味」を見つけて、主体的に会わないという選択にしていくこと、特別な意味合いを持つ行動に変えていくこと、
そこまでいって、原義を含めた意味での「自粛」なんだと思います。

だから「自粛の要請」って、とんでもなく難しいことを国や地方自治体からお願いされちゃっているんですね。

大変で困難なことだからこそ、個人の底力が試されているんだと思います。

僕自身も主体的に原義的な意味を込めたレベルでの「自粛」をしていきたいと思います。頑張ります。

不安で不安定な時期が続きますが、だからこそ「自ら」を「肅」していきましょう。
そして、みんなで助け合っていきましょう。

この文章を最後まで読んでくださった皆さん、ありがとうございます。

もし、白川静先生の漢字学にご興味がある方は、以下の本がオススメです。

『漢字百話』白川静

また、ちょっと高いですが白川先生による漢和辞典もあります。

『常用字解』白川静

もし宜しければ、手に取ってみてください。

なお、文中において誤りや理解違い等あれば、それは全て筆者である私の責めに帰するものです。

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