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「ポストコロナのSF」その後 (成瀬は天下を取りにいく の読後感)

以前このnoteでハヤカワSF文庫の「ポストコロナのSF」という短編集について小文を書いた。未来のことは誰にもわからないわけだが日本を代表するSF作家の皆さんがまさにコロナ禍において執筆されたSFは、流行り病がどうなるのかわからない私の不安な気持ちを和らげてくれ、また「どんな未来でも来るなら来い、こちとらダテにSF読んで生きてきたわけじゃ無え。」という開き直りを与えてくれた。

さて、それから3年。
件の短編集に描かれていた程ドラスティックな変化は日本には起きなかった。外つ国にはコロナ下に全ての行政手続きのオンライン申請が可能になったり、義務教育に半ば恒常的にオンライン授業が組み込まれたり、リモートワークが一般化した国が多数ある中、変化を嫌う・和の国・日本は変わらなかった。

変わらなかったのだが。
変わらなかったと言いきってしまって良いと思うのだが。
変わらなかった、のか?

2020年2月コロナ前の日本と、マスクで顔を隠し・ソーシャルディスタンスで2メートル離れ・部活は短縮・体育祭は中止・あちこちに消毒液があり・入場規制が敷かれ・人と人との接触を避けるようになった2023年5月以後のコロナ5類化以後の日本をイコール(=)で結んでしまって本当に良いのか、あるいは2020年コロナ以前の日本を積分して得られるコロナ禍がなかった場合の2023年8月と、コロナ禍を経た現在の日本はほぼ等しい(≒)と言えるのか、この3ヶ月余りずっと私はモヤモヤしていた。

Amazonのリンクの貼り方わからなくてすみません

そのモヤモヤを宮島未奈氏の「成瀬は天下を取りにいく」は晴らしてくれた。そう、これが私の知るポストコロナ直前のウィズコロナの日本だ。元通りではない。無かったわけでもない。コロナ拡大を避けるためのあらゆる制約を受け入れながらもそれに打ちひしがれるではなく、上手く捌いて日常の(学業だの家事だの仕事だの)ルーチンをこなしつつ、何かを試し・挑戦し・新しい人間関係やそこから派生する新しい自分を確立したりしてきた。ある人は恋をしただろう。ある人は転職を余儀なくされただろう。ある人は進学し、ある人は結婚しただろう。ある人は親しい人を弔い、あるいは新しい生命を迎えただろう。世界をパンデミックが覆うという非日常の中で生老病死という人間としての「日常」を「変わらず」重ね続けることに成功したのだ。作者の宮島氏は、そうそうちょうどその頃滋賀県大津市ではこんなことがありましてね、というドキュメンタリー映像かのように主人公の成瀬と島崎とその他の人々を淡々と活写していく。修辞に富んだ華やかな文体ではなく料理レシピのように過不足なくわかりやすい書き方なため、その「おかしみ」がストレートに伝わってくる。本の帯の「進撃の8万部突破!」という言葉からもこの作品が日本上陸前に920ヘクトパスカル級の台風並に威力がある事がわかろうというものだがしかしこれではまだ足りない。あなたにも是非読んでもらいたい。

言葉少なな成瀬を見守る島崎をさらに遠巻きに見つめる「滋賀県民の1人」になって、ポストコロナの日常を生きよう。街で見かける高校生一人一人が天下を取りにいく成瀬であり島崎であり、先日閉店した商店街の古い荒物屋が西武大津店だ。

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