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あの日見たホラー映画の恐怖をおれはまだ知らない

本稿ではホラー映画をJホラーとアメホラに二分し、主観上知り得ない恐怖について理屈をこね回す。結論は「結局わからん」と「『来る』を見ろ」だ。

「『貞子vs伽倻子』はそんなに怖くないし面白いよ」
「『来る』はホラー映画って言ってるけど怖くはないよ」
なんて言葉をインターネットのジャングルで耳にして、なんだそれならホラーが苦手なベイビーの私でも見られるかな。話題だし見てみよう。

ふっざけんなめちゃくちゃ怖かったじゃねーか!!!!!!!

という経験があるだろうか。もしくはそれをさせた経験があるだろうか。
どっちもないよというおまえは今すぐ最寄りのブロックバスターに駆け込み『貞子vs伽倻子』か『来る』をレンタルしよう。『コワすぎ』シリーズや『キャビン・イン・ザ・ウッズ』『ドント・ブリーズ』でもよい。

「怖くない」は「怖くない」わけじゃない

おれが「怖くないよ」と勧めた映画を見てるときニコニコ笑ってアハハとか言いながら見てるかというとまったくそうではない。ビビり、驚き、恐怖しながら見ている。それでも「怖くない」というのはなぜなのか?強がりなのか?騙したいのか?人の心がないのか?そうではない。

おれは映画好きではあるが、ホラー映画と聞けば飛びつくほどのホラー映画好きではない。ホラー映画を他人にすすめるのはあくまで一本の映画として面白い作品がたまたまホラー映画だったというだけのことだ。Jホラーという言葉があるくらいホラー映画は我が国の特産品なので、どうしても『おすすめの邦画』という話になるとホラー映画が並びやすい。
そして基本的にJホラーは非常に怖い。
Jホラーの恐怖の頂点を感じたいおまえは『残穢』を見ろ。アパートで一人暮らしをはじめたばかりのおまえには特にうってつけだ。

Jホラーは見たあとに恐怖の種を植え付けられる。映画を見たあとおまえの生活は一変する。夜の物音に、夕暮れの影に、すれ違う人々に「もしや」と感じ、恐ろしくて恐ろしくて動悸と吐き気とめまいがする。この見たあとの気持ち悪さこそおれが作品を紹介するときに言う「怖い」だ。Jホラーの恐怖存在はビデオを見たり、敷地に入ったり、姿を見たり、呪文を唱えたりしたものを殺したり呪ったりと「一定のルールに従って行動する」という性質を持つ。そのルールは恐怖存在側のもので我々からすると非常に理不尽なのだが、その見えない理不尽さが現実にも広がっているのではないか。そしてそれを知らぬ間に踏み抜くのではないかという怖さだ。

一方で、アメリカンホラーではそういった視聴後の気持ち悪さというものは少ない。基本的には「化け物がでたー!」「キャー!!」というモンスターパニックなどと同じ種類にあたる。映画を見たあとは「怖くない」。確かにあんなモンスターに襲われたら死ぬけど、あんなモンスターは現実には存在しないし、もし存在するならアメリカ空軍が倒してくれるさ、HAHAHAHA!おれがホラー映画をさして「怖くないよ」というのはまさに「アメリカンホラー的だよ」という意味だ。ふーんそうなんだアメリカンホラーは怖くないんだ。

怖いよ!!!!!

先に上げた『ドント・ブリーズ』なんてもうこっちが息止めてなきゃいけないほど怖いし、『キャビン・イン・ザ・ウッズ』だってそりゃ異形のモンスターがブッシャーくると怖いよ!ビビるよ!!声出るよ!!めちゃめちゃ怖いよ!!
でも視聴後は「あー怖かったwww」で終わるのがアメホラ。
その恐怖の性質はホラーではなくスリラーの方が近い。言ってしまえばびっくり箱みたいなものだ。

まとめ。
Jホラーは見た後が怖い。これを「怖い」と言ってる。
アメホラは見た後は怖くない。これを「怖くない」と言ってる。
どっちも見てる最中は怖い。そりゃそうだよホラー映画なんだから。
でもホラー映画ってひとくくりにするとやはり語弊があるのでサイコスリラーとかオカルトホラーとかもうちょっと細かく分類したほうがいいんじゃないかな!

いや、ちょっとまってほしい

おれがJホラーを「怖い」と感じて、アメホラを「怖くない」と感じるのはおれが日本人だからではないのか?もしかしたらアメホラを見たアメリカ人は俺がJホラーを見た後のように疑心暗鬼になってキャントゴートゥバスルームインザナイトになるのではないか?

映画『シャイニング』は北米キリスト教徒白人でしかその真の恐怖を味わえない、という話がある。かの映画には多数アメリカインディアンのモチーフが組み込まれており、北米キリスト教徒白人の根底にあるアメリカインディアンへの恐怖をじわじわと刺激する、という話だ。なるほど自然の神々と対話するアニミズム信仰の先住民を蹂躙虐殺し奪い取った土地に住む一神教徒にしかわからない恐怖があるのかもしれん。

よくよく考えてみれば八百万の神に囲まれ生きる我ら日本人はそのアメリカ先住民とおなじ、アニミズム信仰を持つ異教徒の蛮族そのものだ。『エクソシスト』を見てキリスト教徒が泡を吹いて失神している横で「除霊っていったらこうだよね」みたいな顔をしている我々だ。ラヴクラフトの描いた一神教信仰の土台を揺るがす恐怖存在に対して醤油があったら食べられるとか言ってるのが我々だ。Jホラーとアメホラには思ってる以上の文化の断絶があると考えられる。

意識調査の結果

Jホラーともアメホラともとれる映画の冒頭でやらかした結果死んだ大学生に対して実に8割の人がお前が悪いと感じている。一方でその死についは当然と理不尽と感じるものがおおよそ半々。
140字という制限と、完全な思いつきで取ったアンケートなので言葉足らずな部分は多いががこれが日本人の大まかな感覚と言っていいんじゃないだろうか。
これと同じアンケートを北米キリスト教徒白人に取ったらどうなるのか非常に興味があるが、おれは英語のジャングルでの戦闘でPTSDを患っているので英語に自信ニキや職場に北米キリスト教徒白人がいるネキはぜひ聞いてみてほしい。俺は「大学生は悪くない。結果は理不尽」という回答が多くなると予想している。

アメリカンJホラー「来る」

アメリカと日本、一神教とアニミズムが感じる恐怖の違いをアニミズム側の人間として語った。では日本人にアメホラを真に楽しむことはできないのか?アメリカ人はJホラーを真に理解していないのか?そういう話ではないことだけ付け加えさせてもらう。

作品が世に出た時点でその解釈は見たものに委ねられる。その作品の真の楽しみ方などというものはなく、見たものが感じた感想が全てだ。ただおれはアメリカンオカルトホラーのことをどうしても異教徒の蛮族側から見てしまい、主人公に肩入れできないを歯がゆく思っており、それはあちらさんも同じではないのか?と思いキーボードを叩いた次第だ。

最後に映画「来る」をさっと紹介して終わりたい。
中島哲也監督が撮ったオカルトホラー映画だがこれはここ最近で最高のエンタメホラーなので是非見てほしい。そして何より面白いのはこの映画は「アメリカンJホラー」であるところだ。
本稿を読んでJホラーとアメホラ、2つの恐怖の違いについて興味が湧いたらぜひ「来る」を見てほしい。「怖くない(本稿用語)」から。


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