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『動物農場』における現代ウクライナとロシアのカリカチュア

 ディストピアSFの先駆けと名高い『1984』はあまりにも有名だ。その『1984』を書いたイギリス人ジョージ・オーウェルは、子供にも読めるおとぎ話という形でユートピアがディストピアへと変質する物語を執筆した。その作品が1945年に出版された『動物農場』である。

『動物農場』あらすじ


 舞台はジョーンズさんが経営する「荘園農場(マナー・ファーム)」から始まる。その農場で暮らす動物たちは虐げられ、主人である人間に諾々と従っている。これは資本主義社会の縮図であり、人間と動物はそれぞれ資本家と労働者の隠喩である。ある夜年老いた雄豚である老メージャーは動物たちに向かって訥々と自分が見た夢を語り出す。人間を追い出し、動物たちだけの農場を作るのだと。
 もうお気づきであろうが、この老メージャー、ロシア帝国の打倒を叫び、共産主義思想を作り上げたマルクスやレーニンがモデルだとされている。
 レーニン亡き後、動物たちは力を合わせて牧場主のジョーンズさんを追い出し、悲願を達成する。動物たちだけのユートピアを彼らは「動物農場」と命名し、団結を誓う。しかしユートピアが訪れたその後のソビエト連邦がどうなっていくか。
 トロツキーとスターリンの権力争いの末スターリンが権力を握り、自分に逆らう相手を次々と粛清していく様子のカリカチュア(風刺)として、二匹のスノーボールとナポレオンという豚が登場する。スノーボールは敗れ、牧場を去るが、ナポレオンは権力の座を維持する為に、牧場で起こる事故や不祥事を全てスノーボールの仕業だと言い張り、対抗するために自分の権力を正当化してゆくーー以上が『動物農場』の大まかなあらすじである。

現代社会のカリカチュアとしての『動物農場』


 なぜこの『動物農場』を今読むべきと思うのか、その理由を挙げていこう。一つはこの話に出てくる虐げられる動物の内、雌鶏たちこそ当時のウクライナがモデルとされている説があるからである。
 1928年から続くソ連の第一次五カ年計画では、近代化と工業化が推進され、コルホーズと呼ばれる農業の集団化が進められた。不作の年にも輸出用の作物は外貨獲得のために容赦なく徴発され、1932年から1933年にはホロドモール(ウクライナ飢饉)と呼ばれる大飢饉がウクライナ各地で発生し、数百万人が餓死したとされている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/ホロドモール

 『動物農場』では資金や資材を手に入れるために卵を売ることが決まったと雌鶏たちに伝えられる。命じられるままに従っていた雌鳥たちであったが、ナポレオンの独裁により更なる卵の提出を命じられてそれに反抗した結果、見せしめとして食料を止められ、飢えて死んでしまう。服従することでかろうじて生き延びた雌鶏たちは、その後半ば強制的に卵を奪われ、最低限の雛を孵化させる事だけを許される運命を辿る。ウクライナが何故多勢に無勢ながらもロシアに反発し、徹底交戦の構えを見せているのか。過去の歴史から見て占領し降伏した後の惨状は言うまでもないからである。

ウクライナ侵攻へと続くナラティブ・プロパガンダへの反旗


 第二に、ナポレオンが吹聴するデマゴーグ(農園で動物たちが建設していた風車を倒したのは誰か、もちろんそれはスノーボールである)そういった責任転嫁と仮想敵を作り出す狡猾な情報戦が古びてしまったものではなく、現代にも新しい形をとって脈々と続いているものだということである。ロシアのウクライナ侵略が始まってからSNSで目にする情報の多くがナラティブ(発信者側に都合の良い情報)であり、迂闊に広めることが情報戦に加担することになってしまう。
 一例を挙げよう。先程述べたホロドモールにまつわる報道とオーウェルが描いた『動物農場』におけるナポレオンの主張と『1984』の国民を統制する方法「ニュースピークの諸原理」、そして現代ロシアの主張には奇妙な類似点がある。
 ソ連国内国外問わず極秘とされていたウクライナの飢饉を報道したジャーナリストGareth Jonesは"Russians Hungry, But Not Starving(空腹であるが飢えてはいない)"と批判を浴びせられた。この言い換えによるミスリーディングをオーウェルは『動物農場』では作物の収穫が「減少」したのではなく「再調整」と言い換えた。このロジックをオーウェルは『1984』で「ニュースピークの諸原理」へと結実させている。
 そして今ロシアが「戦争」という言葉を国内で使用することを禁じ「特別軍事作戦」と言い換えている事に、オーウェル的な世界観の不協和音を感じ取ってしまうのである。
 この情報戦は戦争だけに限定されるものではない。反ワクチンといった反科学的な活動の一部がロシアや中国から発信されたデマやプロパガンダであったという話が現在進行形の侵略の傍で実証づけられつつある。これはコロナ禍の前2014年から続く話であり世論の操作や撹乱が目的なのではとされているが推察の域を出ない。
 とはいえこうした嘘の情報がどういった意図をもって流布されているかを知っているだけでも自身を防衛する一つの鎧となるだろう。

ベンジャミンという存在に見出す希望


 第三に、農場で働く動物(労働者たち)から私たちはどうあるべきかを示唆的に学ぶことができるからである。ベンジャミンという雄のロバは豚たちよりも博識であったが傍観者に徹していたがために圧政に反抗する機会を逃し、最後には古い友人を食肉工場に送られてしまう。このベンジャミンには特定のモデルはいないとされているが、おそらくはソビエトの体質が独裁へと変わっていくのを目にしつつも声を上げず黙認する知識人だと推察することができる。オーウェルが風刺的に描いた老ベンジャミンは図らずも警鐘を鳴らし続けたオーウェルの姿と好対照を成している。私たちが老ベンジャミンとなるか、それともオーウェルに続く者たちとなるか、それは、自分自身で選び取らなければならない。

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