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【仮説】Amusement Square=スピニッヂ・パワー

AmusementSquare_ディスコ月光仮面

昨日、ディスコ月光仮面のデータをnoteに打ち込んでいる際、演奏しているバンド「Amusement Square」のメンバーなどについて調べていた。
しかし、ネットで色々と検索をかけてみるも引っかからない。

このレコードがリリースされた1979年6月は、前年に公開された「サタデー・ナイト・フィーバー」の影響で始まった第二次ディスコブームの真っ只中。数多くのディスコアレンジカバー曲が生まれていた時期だ。

そんな中、コロムビアからも月光仮面のディスコアレンジ曲がリリースされる。演奏はしっかりしているし、ちょっとカッコつけた歌い方のA面、いなたい英語がクセになるB面「Disco Mr. Moonlight」、どっちも素晴らしい出来で、今となっては少しレアな一枚になっている。

企画モノの一発屋バンドだからメンバーなんてわかりっこないかと半ば諦めながらも、何かヒントはないかとジャケットに書かれたクレジットを眺めながら考える。
作詩の川内康範、作曲の小川寛興はオリジナルの月光仮面の作者だから置いておくとして、カギとなるのは編曲の長戸大幸と英訳詩のEddy Bluesという人物。
長戸大幸は言わずと知れたビーイングの創業者。自身の音楽活動を経て、77年には舘ひろしへ楽曲提供をするなどの活躍をしていた時期だ。
ではもう一人のEddy Bluesとは何者? 英訳とあるのでどこかの外国人だと思う人もいるかもしれないが、これは織田哲郎の別名で、97年にリリースされたV6の「本気がいっぱい」の作曲などでも使用されている。

ここで点と点が線でつながる。
長戸大幸と織田哲郎、そしてディスコというキーワードでピンとくる人も多いかもしれない。
そうスピニッヂ・パワーというバンドだ。

スピニッヂ・パワーは78年にポパイのテーマソングをディスコアレンジした「POPEYE THE SAILORMAN」でデビューした。

この曲は長戸大幸がDanny Longという名義を使い、名うてのミュージシャンを集めて制作された。その中にコーラスとして参加していたのが織田哲郎である。その後、79年くらいからの第二期スピニッヂ・パワーでは織田が作詞作曲、そしてボーカルを務めることが多かった。
そう、ディスコ月光仮面がリリースされた79年に。

ここでディスコ月光仮面と同じ79年6月にリリースされたスピニッヂ・パワーの「RIDE ON」という曲を聴いてもらいたい。

この曲はディスコ月光仮面の英語版Disco Mr. Moonlightと同様、織田がEddy Bluesという名義を使い作詩を行い長戸大幸が編曲をしている。
どうだろう、歌い方、演奏のアレンジ、コーラスに至るまで似ていないだろうか。
これを偶然の一言で片づけるにはあまりにも情報が揃っている。
念の為、その4ヶ月前にリリースされた織田が作詩作曲、長戸が編曲を聴いてみる。

こちらの方がDisco Mr. Moonlightにより近い感じがする。

さらに偶然と思えないのがスピニッヂ・パワーを結成するきっかけとなった逸話だ。
それは長戸、織田とともにビーイングの創業に携わり副社長を務めた月光恵亮が長戸にポパイを紹介したことがきっかけというもの。
月光は自身のHPにKeisuke Moonlightという名前も付けている。
あくまでも推測だが、長戸が月光の名前から月光仮面をスピニッヂ・パワーでカバーしようと思い付いたが、スピニッヂ・パワーのイメージと少しずれていると感じたためコロムビアから変名でリリースしようとなったのではないか。レコード会社が違うため他社からのリリースを変名で行うというのはわりとよくある話だ(織田哲郎がボトムズの主題歌「炎のさだめ」をTetsu名義で歌ったように)。

これがAmusement Squareがスピニッヂ・パワーだったという仮説だ。
スピニッヂ・パワーで織田哲郎がボーカルを取っていた79年にリリース。Eddy Blues=織田哲郎が英訳、長戸大幸が編曲。
スピニッヂ・パワー結成のきっかけとなった人物の名前が月光。
そしてなにより演奏と歌声の類似。
個人的にはかなり真実に近いグレーだと思っている。

この文章が織田哲郎ファンの目に留まって解析が進むことを願います。

(文中の敬称は略させていただきました)

Special Thanks かずたそ

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