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投げられたお題で短編書く試み : 1

 ある夏の日、夏季休暇と言う学生の特権を謳歌したがっている私は雨の中課外授業から帰宅し、玄関の見慣れない靴で全てを察した。
「ハイちゃん!おかえり!」
 リビングから走ってきた少女は両手を広げて私を出迎える。
「えっ!?ゆーちゃん!?おっきくなったねえ!」
 1年ぶりに見る従姉妹は、一瞬誰かわからない程に大きくなっていた。この年齢の子供というのは、本当に成長が早い。
「…なんか親戚のおばちゃんみたいな事言ったな私…あっまってまって濡れてるから抱っこまって」
 少し自己嫌悪する私にはお構いなしに飛びついてくる優羽ちゃんを制止する。
「その親戚のおばちゃんよ。久しぶり、雨大丈夫?」
「あ、お久しぶりです!」
 優羽ちゃんの母親がリビングから顔を覗かせる。優羽ちゃんとは違って、全く変わらない見慣れた顔だった。

 手洗いうがいと着替えを済ませ、去年の倍くらいあるんじゃないかと思うほど重くなった優羽ちゃんを抱えリビングへ入る。まだ夕食時には早い事もあり、母は料理をする訳でもなく叔母さんと談笑していたようだ。「おかえり~」とポテチを食べながら声をかけられ、「ただいま、私ももらっていい?」と返す。我ながら、気が抜ける程のんびりとした家庭だった。
「ねぇねぇハイちゃん!」
 リビングのソファーに腰掛けた私の横に、優羽ちゃんが飛び乗りながら声をかけてきた。ちなみに私の事を「ハイちゃん」と呼んでいるが、私の名前は「ハイ」ではなく「雛子」だ。まだ優羽ちゃんが小さい頃、私が叔母さんの話に「ハイ、ハイ」と返事をしていたせいで、私の名前が「ハイ」だと覚えてしまっている。子供は不思議だ。
「なあにゆーちゃん」
「さっきねー!外がピカーってなってねー!ゴロゴローってねー!怖いんだよー!」
 雷の事だろう。私も大きな雷だなと驚いたので間違いない。
「カミナリだねー、怖いねー」
「えー?カミナミこわくないよー!もう6歳だから!」
 いや今怖いって言うたですやん。子供は不思議だ。
「そっかー!凄いねえ!」
 胸を逸らしドヤとでも言わんばかりに鼻を鳴らす優羽ちゃんの頭を撫でる。
「でもねーなんでゴロゴロなるのー?」
「なん…」
 …。
「なんでだろうねー!学校に行ったら教えて貰えるんだよー!」
「そうなんだ!あのねーゆーちゃんねーもうすぐしょうがくせいだから、じゃあわかるねー!」
「そうだねー!」
 私は誤魔化すように、いや実際誤魔化す為に、優羽ちゃんの頭を精一杯撫でた。

 子供は凄い。
 大人では考えもしないような着眼点で疑問を投げかけてくる。私は大人ではないが、私にはもうない感性を持っている。
 そして、知らない事があればすぐに「なんで?」「どうして?」と聞ける。それはそうだ、本当に知らないのだから。知らない事が罪にはならない。何故なら、子供だから。
 20年にも満たない短い人生で、「え?知らないの?」と言われる恐怖は知っていた。そこで唐突に訪れる疎外感や不安感、恐怖感がたまらなく嫌いだった。そこに居てはいけないんじゃないかという強迫観念に近い感情に襲われるのだ。
「あ~、うんうん」
 私の口癖だ。否定はせず、やんわり肯定する。これが、私の処世術だった。こういっておけば、全く知らない話題であっても少なくとも途切れることはない。
 こうして出来上がった"なんとなく"な人間関係というのは、それはもう薄っぺらいものだった。細く細く、指を乗せただけでも千切れてしまうような、ただの知り合い。夏を謳歌するにも、休みの日を一緒に遊んで過ごす友達なんているはずもない。学校の終わり際、「今日みんなで遊び行こう」の「みんな」に、私が含まれた事はない。
 今日だって、学校から寄り道せずに直帰だ。
「淋し…」
 部屋のベッドで横たわりながら、予定の書き込まれていない8月のカレンダーを眺めため息を吐く。

 わからない事をわからない、知らないことを知らないと言えなくなったのはいつからだろう。家族は仲良し、学校でイジメられてる訳でもない。でも、特別楽しい事がある訳でもない。自分の気持ちを真っ直ぐに相手に伝えられなくなったのは、いつからだ。猛烈に胸が苦しくなり、涙が滲んだ。心臓からはじき出されて全身を巡る血が、油になってしまったんじゃないかと思うほど体が重かった。
「ハイちゃん~!」
 自室のドアがドンドンというよりバンバンと叩かれた。言うまでもなく優羽ちゃんだ。私は鬱々とした気持ちと目元の涙を振り払い、「ハイハイ」と返事をした。
「ハイちゃん!ごはんだって!ねえごはんってなんでさんかい食べるの?」
「な、なんでだろうねえ、さ、いこ」
「うん!しょうがっこうになったら教えてもらうー」
 優羽ちゃんに手を引かれながら暴れる二つ結びを見る。どこまでも楽しそうに揺れているのは、きっと優羽ちゃんが楽しいからだ。名前の通り羽のようにふわふわとして、優しい気持ちにさせてくれる彼女を見て、私は胸がギリと締め付けられるのを感じた。
 私はいつまでも雛のままなのだろうか。いつか成長し、この憂鬱の沼から飛び立つ事ができるのだろうか。
 美しい孔雀にはなれなくとも、淋しくたって、私だってせめて鶏くらいにはなってみたいよ。
 私は、「カミナミはピカーゴロゴロこわいこわーい」と聞いたこともない歌を陽気に歌う優羽ちゃんの手を、ギュッと強く握り返した。

お題:「地を這う油淋鶏」

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提供者:はるの
所感:なんやねんこのお題

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