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普通に生きること

人間に本来正常な状態などは存在せず,みんながみんなちょっとずつおかしくて,そしてそれを許容して生きていくことが求められている。

言い換えれば,少しぐらいおかしいことが普通であって,逆に全てが普通で正常の人間は,この社会ではその存在そのものが異質となる。

そもそも他人同士である時点で,他人と生物学的に同じようには決してなれないわけであって,人はどこまでも孤独である。

目白,東京


ではなぜ孤独に生きないかと言えば人間には社交性が備わっていて,というよりも備えざるを得ない状況に生み落とされて育てられるので,自分の感情はどうあれ人とのつながりが強制される社会に生きているからだといえる。

そのつながりを嫌悪する人もいれば依存する人もいて,でもつながりそれ自体が相互的・社会的なものである時点で,人とのつながりに対して自ら働きかけることはとても難しい。

つながりに対する自分の態度と相手の態度が全く同じであることはほとんど存在しない割に,それが少しずれただけでとても息苦しく感じるのは,それだけそのつながりに重きを置いているからだ。

つまるところは,諦めと異質性の許容が肝心である。自分が普通ではないことを認めてみると,案外人の異質性も許容できるようになる。

ただ,これは同時に冷たい無関心であって,その人の異質性を理解するよりも突き放し視界の外に置くような感覚でもあって,きっと理想ではないのだろう。


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