短文「ひねり出すということ」

どーも、今回は、短歌ばかりでなく、自分の創作論もどきを吐き出します。
推敲なんかしません、叫びです、これは。

文章であれ、何であれ、何かを表現するというのは、具体的な行動なんですよね。
それは日常のモノ、家事だったり、仕事だったり、遊びだったり、誰かとのトークもそれかもしれませんん、セックスだってそうでしょう。
どうも、人間の人生の分岐点をつかさどるのは、妄想や空想ではなく、具体的な行動のようです。勿論、何もしないことも。

何かの小説の中で、頭でこさえるだけではダメだ。と言うことを登場人物が語っていました。確かにそうですよね。
好きな服を買うのも、自分の好みの部屋にするのも、何か本を読むのも、やっぱり行動ですよね。服を買うには、お金がいるし、部屋だって、掃除などのキーピングが必要、本だって、読まなきゃ意味がない。

そんな時にコツがあるとしたら、具体的にそれを脳内で絵にしないことでしょう、と、僕は思います。
皆さんもご経験はあるハズですが(特にこの空間の住民たちは)、子供の頃などに、漫画の世界の登場人物の誰かにになったり、自分が、その世界の住民になって、活躍したりするって結構しましたよね。
恥ずかしながら今でもしてしまう自分がいる。

でも、それは結局脳と言う世界、タンパク質で作られた自分だけしか見えないコンピューター世界の中だけです。
それこそ、おもちゃのミニチュア人形で物語の世界と作って遊ぶって、ひとりだど、結構むなしいですよね。あの、急におそってくるむなしさ、辛いんです。

だから、どうするのか、とにかく、脳と言う世界ではなく、指先で物語を作っていくのが、きっとコツなんでしょうね。
どんなに頭の中で、素晴らしいドラマを作っても、それが具体的に作られれば、作られている程に、それを文章にしたりするのは、難しいようです。ただ、思ったメモをだらだら書くだけ、しかし、小説などにし始めると、これが舞台の上に立って、テンパるように書けない……。

だから、まずは指先、脳の情報を一旦、消去し、指先のみで、作っていくのがいいんでしょう。
勿論、妄想のドラマを、暇な時に作っていくって、楽しいですけど。

なりたい自分、住んでみたい世界、楽しい人間関係、エッチな妄想。
素敵な未来。
日常を生きながら、それをこそこそ作るのも、それはそれで楽しい。

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